60年の友情 感謝を歌に込め 大阪稲グリが記念演奏会

 大阪稲門グリークラブの創立60周年記念コンサートが3月20日、大阪国際交流センター大ホールで開かれた。節目の演奏会に大阪稲グリのほか、ボニージャックスをはじめ全国のワセグリOBが集結。他大学OBの友情出演も得て、力強い歌声で聴衆を魅了した。

多くの人に支えられ 皆の思い 演奏に結実

実行委員長 鎌田 龍児(S35卒)
 大阪稲グリの60年を一言で言えば、多くの人たちに助けられ支えられてきた60年と言える。昭和32年卒のメンバーが、大阪天五の藤野屋の2階に集い歌い始めたのが始まりだが、ここまで歩み続けて来られたのは、多くの人たちのサポートがあったからだ。
60周年記念演奏会は、大阪稲グリを支えていただいた人たちへの感謝と友情を確かめ合う楽しい演奏会というのがコンセプトだった。演奏会は概ね好意的な評価をいただいたが、それも実行委員会をはじめ多くの方々の協力が実を結んだチームプレーの結果だ。
第1ステージ「African American Spirituals」は、現役時代「ニグロの坪井」と称された大阪稲グリのレジェンド、坪井秀夫会長(S28卒)が、これまで温めてきた黒人霊歌への新たなる思いを開花させるものになった。
第2ステージは、もう一人のレジェンドである合唱界の重鎮、須賀敬一氏(S30卒)の「啄木短歌集」。須賀先輩には母音のつながりと子音の発音を徹底的に絞られたが、石川啄木の短歌に込められた思いを理解して表現することに神経を研ぎ澄まし、音楽づくりに没頭した練習は実に豊かで充実した時間だった。本番は加藤崇子さんの素晴らしいピアノにも助けられて、一定の成果が出せたのではないかと思っている。
第3ステージ「歌い続けて60年」は、大阪稲グリの歩みを辿りながら、全体を如何にテンポ良く展開するかに腐心した。山に置いたボニージャックスとOB四連の仲間とのステージは効果的だったと思う。
ボニージャックスには同期のセカンド、大町正人がいたこともあり、大阪稲グリと同じ時代を歌い続けてきたボニーに花を添えてほしいと願っていた。予算が心細く、ダメもとで西脇久夫社長(S33卒)にお願いしたところ、「行くよ」と言っていただいた時は本当に嬉しかった。
この第3ステージの構成・演出をお願いしていた山路洋平さん(S32卒)が昨年12月29日に急逝され、構成台本を引き継ぐことになったが、何とか責任を全うすることが出来たと思っている。台本作成にはわずかな時間しか残されていなかったが、比較的順調に進んだ。山路さんが導いて下さったのだと感謝している。
今回も東京をはじめ全国から大阪の本隊をはるかに超える皆さんの応援出演をいただき、大変ありがたかった。「大阪は放っておけない」「応援に行ってやらなければ…」と愛情あふれる思いやり?で駆けつけていただいたと思うが、それに甘えていて良いのだろうか? 今後の課題として一考する必要がありそうだ。
4月18日、山路さんのご遺骨に台本をお供えし、演奏会が成功裏に終わったことを報告した。

全国からOBが駆けつけた大阪稲グリ60周年記念演奏会(3月20日)

100人超が出演、旧交温める

打ち上げで挨拶するボニージャックス西脇さん

大阪稲門グリークラブの60周年記念コンサートに東京から参加し、感動を共有させていただきました。本稿では大阪稲グリと東京とのつながりについて書かせていただきます。
今回のコンサートには、大阪稲グリのメンバーが他大学も含めて39名、関西在住のOB四連3大学のメンバー30名、そして東京から30名と、総勢100人近くがオンステしました。東京からは東京稲門グリークラブのメンバーが16名、関西で同期会を予定していたS37卒の方々が6名、その他8名で押しかけました。
東京から大阪稲グリの演奏会に大挙して参加するようになったのは1987年の30周年演奏会の頃からです。2008年、東京稲グリの幹事長をされていた今澤哲朗さん(S45卒)が関西に戻り、私が後を引き継ぎました。今回も月1回の練習日を大阪用に企画し、2月には大阪の藤野充指揮者(S40卒)を迎え、都合4回練習をしました。
今回の演奏会の実行委員長の鎌田龍児さんには、14年の第5回コーラス花の早慶戦in 岩手(盛岡市民文化ホール)でも大変お世話になりました。今回は花の早慶戦で歌った曲もあり、それなりの演奏ができ、前夜祭や打ち上げでも旧交を温めることができました。
昔からある合唱団は高齢化に伴い、存続の危機にさらされています。若いOBの参加を期待しています。

東京稲門グリークラブ
幹事長 溝田俊二(S48卒)
ボニーの演奏