【稲グリ新聞事始】<3>ハミダシ情報泣き笑い 名誉棄損ニモ負ケズ?

【ハミダシ情報】――。
このコーナーは本紙で収容できなかった情報を欄外に掲載するという形で、1984年5月の19号からスタートした。当時はOB会の名称が「稲門グリークラブ」で、単体の組織だったので、ネタは全OB共通の話題という前提であった。
2000年前後からは、シニア会、東京稲グリ、OBメンバーズ、倶楽部グリー、横浜稲グリなど関連団体が分化して共通の話題が少なくなり、掲載もまれになっている。
編集部の泣き笑いも含むハミダシ情報の中で、面白かったものを選んでみた。初めて読む読者のために原文を多少書き換えている。。

◆結婚情報掲載開始=27号(85年4月)川窪洋さん(S56卒)が5月26日桜友女声合唱団の島さんと明治神宮記念館で挙式予定。
◆近況の掲載開始=46号(87年5月)篠松次郎さん(S54卒)が5月16日付で大阪から東京に転勤。
◆面白ネタの掲載開始=46号(87年5月)岡本俊久さん(S48卒)が振る横浜女声合唱団のコンサートを聴いた10数名は伊勢佐木町のとある店で、練習にも来ないで若い女性とカラオケに興じている松島靖宏さん(S42卒)と遭遇。
◇63号(89年3月)杉野耕一さん(S59卒)と高田馬場駅前のビッグボックス前で待ち合わせ。隣の交番からお巡りさんが出てきて「佐々木豊さんはいませんか?」。何事かと返事をすると「杉野さんから、仕事が入って行けないとの伝言です」。さらに「こんなことで交番の電話を使わないように」とキツイお叱り。
◇67号(89年8月)OB四連前のある日の「庄や」、指揮者の堀俊輔さん(S50卒)の前に座った長岡義麿さん(S38卒)「堀さん、私は通勤電車の中でも『サバッパー、サバッパー(ウエストサイドストーリー)』と練習しているんです」。堀「結構ですが、そのリズムが既に間違っているんです!」。
◇80号( 90 年11月)編集長宅で2日間作業。夜は池袋の芸劇へ本業の取材に出かけて深夜に「ただいま」、また新聞作業を続ける離れ業。キツかった~。
◇89号(91年10月)校友会の特ステ後、飲んで下地ができた稲グリ面々は髙田牧舎近くの「稲穂」を20人近くで占拠。六大学校歌メドレーの高歌放吟。一般客を巻き込み、おカミさんも即席チアガールとなって踊り狂う大宴会に。一般客から「感激料」として1万円のカンパ。この騒ぎに店主は顔で笑って心で泣いていたような気が…。
◇106号(93年8月)あるハミダシ情報ネタを編集長が「事実誤認、名誉棄損になるかも」とボツに。それを聞いた堀俊輔さん「載せなあかんやないか。このコーナーは名誉棄損でもってるんやから」。以上、お楽しみいただけたかな。

(頴原信二郎S42卒)

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