【近況・遠境】二十四節気の歌を連載 あの中上健次も指導

我は海の子白波の、海に潜ると、うねりの中の鮮やかな別世界、タコの手づかみ。川に潜ると、チロチロ冷たく静かなアユの世界。
熊野は豊かな川と黒潮の息吹で若者を育てる。歌は2分の2拍子、男らしく「堂々と」リズムを刻む。「若者は海で生まれた風を孕んだ帆の乳房で育ったすばらしく巨きくなった」(佐藤春夫「海の若者」)
和歌山県立新宮高校の玄関を飾るこの詩は、しかし一転して恐ろしい運命を語る。彼は海から帰らず「とりのこされた者どもは泣いて小さな墓をたてた」。海に生きる者の「命のドラマ」が深く心を打つ。

福田さんが熊野新聞に連載している「おりふしのうた」

高校の合唱部や市民合唱団を長年指導してきたためか、地元紙の熊野新聞から「二十四節気にあわせて童謡を中心に連載して」という難題。悩んだが、美人記者の一言で即OK。グリー魂は健在であった。
いつも教室の後ろに座って拒絶の気配をただよわせている太めの男がいた。中上健次である。彼の未公開のエピソード。高校時代は合唱部員、やわらかく美しい声のテノールだった。ただ、叱られるとすぐにふくれた。
後年、芥川賞受賞記念講演をしてくれた。打ち上げで後輩と一緒に「ふるさと」を歌わされ、ヤラセの嫌いな彼は不機嫌になった。が、美空ひばりの歌の話になると、やっと乗ってくれて二人で盛り上がった。あの細い目をますます細くしてニコニコしていた 。
高校の合唱部はしばらくして、「海の構図」の「神話の巨人」を歌って、関西大会で金賞を取ったが、うかつにも船の上で滑って首を折った。教え子の金沢の大学教授が骨をすげかえる難手術をしてくれ、一命を取りとめた。現在は身体障害三級、要介護の身の上である。それでも「椅子に座った指揮者」は熊野の山奥でまだ生きようとしている 。

福田丈太朗(S38卒、元新宮高校教諭)