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早稲田大学グリークラブの愛唱曲「遙かな友に」が1951年に誕生して、今年で70周年を迎えます。これを記念して、ワセグリOB会はOB・現役から広く歌声を募ってリモート合唱映像を作成し、磯部俶先生(S17卒)がこの曲を作曲された7月に動画投稿サイト「YouTube」に公開しました。
このリモート合唱には、現役生を含めて19歳から92歳までの86名の方々にご参加いただきました。最高齢の参加者はベースの澤登典夫さんで、「はる友」が誕生した合宿で初演した、パートリーダーのお一人です。
ご参加くださった皆さま、ご協力ありがとうございました。
一堂に会して歌い、祝うことは出来ませんが、YouTubeをご視聴いただき、お一人お一人で「はる友」の”古希“をお祝いいただければ幸いです。
私たちの「はる友」が末永く人々に愛され、歌い継がれることを、心より祈りたいと思います。
◆ご挨拶
離れていても、心の声の結集を!
早稲田大学グリークラブOB会 会長 柿沼 郭(S53卒)
依然としてコロナの嵐が吹き荒れる中、全国1,500人のワセグリOBの皆さん、いかがお過ごしでしょうか。しかるべき対策を施せば感染は防げることがわかっていても、それを長期間維持し続けることで、心と体の疲れを感じている方も少なくないと思います。このプロジェクトが、そうしたもやもやした思いを少しでも解消することにつながれば幸いです。
ワセグリOB会では、今年が『遙かな友に』誕生から70周年になるのを記念し、現役・OBの皆さんに広くよびかけ、『遙かな友に』のリモート合唱映像を作成し、世界に発信することになりました。
“ワセグリ人”の皆さんには説明するまでもありませんが、『遙かな友に』は昭和26年(1951年)、早稲田大学グリークラブの合宿で学生たちのために作詞、作曲されたオリジナル男声合唱曲です。作ったのはグリーOBで作曲家の磯部俶先輩(S17卒)。今や世界の老若男女に歌われていますが、ワセグリ人にとっては“ソウル・ミュージック”です。
平成19年(2007年)ワセグリ創立100周年の時、大隈講堂の前に800人の現役・OBが集まって、校歌の大合唱を披露しました。現在は集まることが困難ですので、リモートつまり離れたところで、“遙かな友”を思いつつ歌ってください。そうした多数の声と姿を集めて1つの『遙かな友に』を作る。新しい『はる友』の大合唱です。ワセグリ人の心の声の結集をお待ちしています。
コロナ禍で問い直すワセグリのDNA
「遙かな友に」誕生70周年記念事業実行委員会 委員長 山本広士 (S55卒)
昭和26(1951)年7月12日、神奈川県津久井郡青根村での夏合宿で「遙かな友に」は誕生しました。磯部俶先輩33歳のときの作品です。そして今年、「遙かな友に」は誕生70周年、“古希“を迎えます。
須賀敬一先輩(S30卒)が学生指揮者だったときに、演奏旅行でテナーによるソロ演奏を採用されました。そして今日なお定期演奏会で、「遙かな友に」はテナーソロを伴ってクロージングの曲として歌われ、四年生はワセグリを巣立っていきます。
演奏旅行においても、「遙かな友に」はクロージングの曲として歌われ、お客様は、その余韻とともにコンサートホールを後にされます。
「遙かな友に」はワセグリ関係者のみならず、全国の合唱ファンに愛唱されています。昭和54(1979)年のヨーロッパ演奏旅行では、ブローシャーにローマ字の歌詞付きの楽譜を印刷し、磯部俶先輩の指揮で外国の合唱人と一緒に歌いました。
私たちワセグリOBにとってDNAの一つとも言える「遙かな友に」の“古希”は、本来なら一堂に会して盛大に合唱して祝いたいところですが、昨今の新型コロナウイルス感染症が蔓延している状況では、リモート合唱という方法を採用せざるを得ません。
残念な状況ではありますが、リモート合唱であれば、全国各地や海外にいらっしゃるOBにも参加していただけるという利点があります。
皆さんに録音していただいた音源を編集して重ね合わせると、一つの合唱作品になります。そして、コロナ禍という厳しい状況下で作られる「はる友」は、ワセグリの歴史の一ページに確かな足跡を残し、後世に語り継がれていくことと思います。
さあ、一緒に歌いましょう。
「はる友」は、私たちワセグリの魂の歌です!
愛され続ける名曲、きっと100周年も
リモート合唱制作 佐藤 拓(H15卒)
日本語の合唱曲で、幅広い世代・広範囲の地域で歌われる愛唱曲は結構ありますが、おそらくその中でも最も愛唱されてきた歴史が長いのは、磯部俶作曲の「遙かな友に」かもしれません。
この曲はもともとは無伴奏四部男声合唱曲で、1951年7月、早稲田大学グリークラブの合宿の最中に、早稲グリOBで当時の専任指揮者だった磯部俶(1917~98)によって一晩で書き下ろされたのがその始まりです。
早稲グリ関係者であればだれもが知るエピソードで、現在でも定期演奏会のアンコールの最後に4年生のトップテノールパートリーダーのソロとともに歌われる、大事な作品です。僕も現役時代からOBになった今に至るまで、数えきれないほど歌って(指揮して)来ました。
この曲の誕生70周年となる今年7月に、グリーの現役・OB有志によるリモート合唱に挑戦し、生前の磯部さんの肉声とともにYouTubeに公開しました。
磯部さん自身がこの曲の誕生秘話について語っていますが、実はこれについては異説がある、というか当時の部員の証言によれば磯部さんのジョークが多分に含まれているのだそうです。
またこの曲、早稲田グリーでは長らくA durで歌われておりましたが、この演奏では半音上のB durとしています。これは作曲者の意図としてはB durが「正調」であったらしく、近年発売された「グリークラブアルバムClassic」ではB durに改められたこともあり、今回はこの調を採用しました。
今回70周年を祝うにあたって、原典に当たること、作曲の経緯について当事者の証言を残すことにも注力しました。OB会特設サイトには今後も様々な記事が掲載されていく予定です。
上記のリモート合唱作品は、OB内でリモート制作にある程度慣れていた私が担当することになりました。手前味噌ですが、相当リアルの合唱に近いサウンド、アコースティックになったんではないかと自負しています。
この人たちが実際に集まって歌ったらこうなるんだろうなあ、と想像しながら、わずかなタイミングやピッチのズレはそのまま残して、一体感よりは〝個別感〟が表れるように配慮しました。というより、何もせずとも、グリーメンの歌声は一体感があり、勝手に「早稲田らしい」サウンドになっていくのです。リモートなのに本当に不思議。
残響はすみだトリフォニーホールを意識してつけてみました。なんでこんなトリフォニーっぽい響きになったか、自分でも何をしたのかよくわかっていません(笑)。
一人ひとりが曲への想いをもって、またこの曲が呼び起こすグリークラブの思い出を抱えて、丁寧に真剣に歌ってくださったからこその演奏です。やはりそれぞれの歌声にエネルギーがあると、ソフトで重ねただけでも心を揺さぶります。
参加した方からは、自分の送った音源がこんな立派な合唱になったということに驚き、編集過程で相当メスを入れていれたんでしょう、とねぎらいの言葉をかけられることもありますが、実はそうでもありません。生々しさやライブ感、個人の表現の発露を削り取ることはせず、できるだけありのままを肯定しながら、指揮者の目線でわずかに軌道修正を加える……リモート合唱制作における私の基本スタンスです。
(何より大変なのはノイズ除去とバランス調整。ノイズ除去はある意味流れ作業ですが、バランス調整は一人ひとりの声と向き合うことができる音楽家冥利に尽きる時間です)
早稲グリも他の大学合唱団、OB合唱団の例にもれず、コロナ禍のため満足のいく練習ができない状況が続いていました。それだけに、離れていても一つの曲を共に歌い、その古希を祝うことができるリモート合唱制作は、まさに好機というべきでした。(遠くはスペインから参加された方も!)参加総数は86名、年齢幅は19~92歳。最高齢の澤登典夫先輩は「遙かな友に」を初演した4人のパートリーダーのお一人、まさにレジェンドです!
シンプルで美しく、歌う方にも聞く方にもじんわりと沁みる名曲。30年後の100周年の時にもきっと日本中で愛唱されていることでしょう。
(佐藤拓さんのブログから抜粋しました)
【リモート合唱「遙かな友に」実行委員会】
実行委員長:山本広士(S55卒)
委員:安斎眞治(S47卒)、星賢太郎(S47卒)、槙信人(S48卒)、溝田俊二(S48卒)、佐々木豊(S59卒)、村上政道(H03卒)、佐藤拓(H15卒)