「遙かな友に」について

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「♪静かな夜ふけに いつもいつも 思い出すのは おまえのこと…」で始まる名曲「遙かな友に」が生またのは1951年、ワセグリが夏合宿を行っていた神奈川県津久井郡青根村(現相模原市緑区)の道志川のほとりにある宿舎「夫婦園」でした。作詞・作曲をした磯部俶先生は当初、作詞者を「津久井青根」としていました。

「遙かな友に」を作曲した1951年夏合宿での磯部俶先生

磯部先生の著書「遙かな友に わが音楽人生」(音楽之友社、1991年刊)には、夏合宿では毎晩就寝前に枕の取り合いの騒動が起き、上級生から「何とか静かに寝かせるために曲をつくってほしい」と依頼され、即興で作詞・作曲したと書かれています。

しかし当時のワセグリは、前年に部員の半数以上が去っていった分裂騒動があり、残ったメンバーで再起を図っていました。実際、この年に関東合唱コンクールに2年ぶりに復帰して2位となり、東京六大学合唱連盟結成記念演奏会にも出演しました。そして翌52年には東京六連、東西四大学合唱演奏会がスタートして、ワセグリは本格的な隆盛期を迎えます。

合宿で毎晩のように行われたカルテット大会

当時の部員からは「はる友」について、「分裂騒ぎから体制を立て直し、何とかまとまってきたメンバーに対する(磯部先生の)切々たる思いが込められている」との証言もあります。

「遙かな友に」が誕生した1951年の夏合宿の地に到着したメンバー
関東合唱コンクールに2年ぶりに出場して2位入賞(1951年)

グリークラブアルバムで“復権”

「はる友」は発表されてすぐに人気となり、多くの合唱団に歌われたほか、一般にも広く愛唱されてきました。世に出たのはA-dur版でしたが、ワセグリで最初に歌われたのはB-durで、「トップテノールの音が高くて苦しそうだったため、A-durにした」との証言もあります。
しかし、男声合唱のバイブルともいえる「グリークラブアルバム」(カワイ出版)で、「はる友」は長年、林雄一郎氏の編曲が収録されていました。2016年に出版された「グリークラブアルバム CLASSIC」で、磯部先生が最初に作曲したB-dur版が収録され、ようやく“復権”を果たしたのでした。
今回の誕生70周年記念事業でも、原典のB-dur版で歌っていただきます。

誕生の地で「道志川合唱祭」

「はる友」はワセグリだけでなく、誕生の地にも新たなストーリーを吹き込みました。

今も豊かな自然が残る道志川のほとり(相模原市)

1986年、「遙かな友に」誕生の地として、神奈川県の旧青根村に多くの人の支援により歌碑が建てられました。これを機に92年から「磯部俶記念『遙かな友に』道志川合唱祭」が開催されています。ボニージャックス、いそべとし男声合唱団などワセグリOBも数多く参加してきました。2001年には誕生50年を記念して、「遙かな友に 誕生の地」の碑も建立されました。

ボニージャックスや現役グリークラブも出演

第26回道志川合唱祭(2017年)は、磯部先生の生誕100年の年にあたり、記念曲として、ご子息の磯部周平先生作曲の「おいでよ、ここへ」、ボニーの西脇久夫さん(S33卒)作曲の「静かな人」の2曲が誕生。ボニーや現役グリークラブも出演して披露されました。
道志川合唱祭は昨年、コロナ禍のため開催中止となりましたが、合唱祭がいつまでも続くことを願いたいと思います。