紙面の一部にワープロ印字を導入したのは1986(昭和61)年6月17日発行の第36号からだ。ワープロは打ち込み画面が確か3行20文字分しかない代物。行間の詰めもできないので、印字した紙をハサミで切って台紙に糊付けしていくという紙面作りであった。毎回狭い我が家の一室が印字した紙でいっぱいになり、カミさんの渋面が続く。
以後、細かい表組以外のところはワープロでという時代に。そして安斎眞治さん(S47卒)寄贈のテレビ型PC、OB会購入のノート型PCと、ハード面の進展とともに紙に部屋が占領されることはなくなった。
歴代の編集担当は、創刊~100号を頴原、101~114号を徳田浩さん(S31卒)、115号を佐々木豊現幹事長(S59卒)、116~123号を徳田さん、124~133号を頴原、134~141号を三たび徳田さん、142~162号を三雲孝夫さん(S40卒)、163~203号を頴原、そして204号から現在の杉野耕一さん(S59卒)である。
101号から目まぐるしく編集担当者が交代したが、これはやむを得ない個人的事情からであった。徳田先輩はプロの新聞編集者。様々な新趣向を盛り込んで紙面を活性化させた。
時代は平成に入り、92年には40周年を迎え、この記念行事を中心にOB会(当時は通称稲門グリークラブ)の行事が、海外演奏旅行なども加わり多忙になってきた。この頃にはOBの数も1000人を超えた。当然、世代間のギャップが生じ、若手は年配が多いOB会への参加に消極的となり、OB会は高齢化が進んだ。
OB会では長澤護会長(S36卒)、加藤晴生副会長(S37卒)、安斎眞治幹事長らの努力で、活性化へのOB会改革案が作られ、2001年1月13日の総会、同28日の臨時総会で、福井忠雄新会長(S29卒)の下、出席者の長い激論を経て規約を改正し、新たな船出をした。
この間の事情は141号に詳しく掲載されており、現在でも大いに参考になる。これらの記事は柿沼郭現会長(S53卒)の努力で、新聞の創刊号からのバックナンバーがOB会サイトに載っているのでご参照を。次号では結構人気があった〝ハミダシ情報〟の特集を予定。乞うご期待。
(頴原信二郎 S42卒)
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