今年は日本の音楽界に大きな功績を残した磯部俶先輩(1917~98)の生誕100周年にあたる。磯部さんから指導を受けた多くの合唱団が演奏会で特別記念ステージを構成し、いそべとし男声合唱団は関係の深い合唱団とともに「生誕100年記念合唱の集い」を開いた。戦後早々から、ワセグリを「学生合唱界の雄」に育て上げた偉大な先輩の生涯をこの機会に振り返りたい。若いOB諸君にも、こんな先輩が存在したことを記憶に留めて欲しい。
徳田浩(S31卒)
磯部俶さんは1917年7月24日、東京・大森で生まれた。小学生時代から音楽家に憧れ、早稲田大学入学後早々から平尾貴四男氏に作曲を学ぶなど、音楽家になる意欲はますます高まる。その頃作曲した処女作「木せい」は今も多くの女声合唱団に愛唱されている。若くして早稲田大学合唱団(グリークラブの前身)の学生指揮者に選ばれ、40年の合唱競演会(合唱コンクール)で優勝するなど指揮者としてのスタートも切った。
98年11月25日に生涯を終えるまで、残した作品は16の組曲を含む合唱曲・歌曲、子供の歌など約700曲に及ぶ。磯部作品の特徴を須賀敬一さん(S30卒)は「一言で言えば卓越した叙情性」と言う。さらに加えれば、メロディーの美しさ、優しさ。磯部さんの人柄がそのまま歌に結実している。中田喜直、大中恩らと結成した「ろばの会」から生み出された童謡の数々には子供への愛が満ち溢れ、幼稚園の先生や父兄にも愛される作品が多い。78年に日本童謡賞、81年にモービル児童文化賞を受賞した。
歌曲の分野では四谷文子が創設した波の会で多くの詩人と出会い、後に「新波の会」会長に就任して数々の佳品を残した。四谷がレコーディングした「松の花」など、後に合唱曲に編曲されて今日も愛唱されている秀作が多い。
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話を早稲田時代に戻す。磯部さんは41年、東京放送合唱団に合格し、新しい音楽の世界が開けた。ところが12月に召集令状が届く。12月末日付けで繰り上げ卒業して出征。復員して目にしたのは跡形もない我が家だった。まさにゼロからの出発となる。
47年、東唱に復帰していた磯部さんは後輩たちの懇請で早大グリーの常任指揮者に就任。以降15年間、日本を代表する男声合唱団に育てた。永遠に歌い続けられるであろう「遥かな友に」「輝く太陽」はこの頃生まれ、山田耕筰氏に編曲を依頼した「都の西北」を3番転調で歌うアイデアも磯部さんが出した。さらに36年間、顧問として学生たちにアドバイスを続けた。
〝特筆〟したいのは常任指揮者時代からノーギャラで指導を続けたことだ。どうやら最初にお願い時「ギャラはいいよ!」と言ったことがそのまま歴代マネージャーに引き継がれたらしい。ボニージャックスの名付け親でもあり、4人それぞれの仲人も務めた。
74年、磯部さんは古いワセグリOBらに呼びかけて、いそべとし男声合唱団を結成、国内演奏会はもちろん海外へも何回も演奏旅行に行った。磯部さんはこの合唱団のために数々の名曲を作った。晩年、須賀敬一さんに指導を託し、今日も磯部さんの珠玉作品を歌い続けている。
現役時代・いそべ男声を通じて終始指導を受け、個人的にも深い交流が続いた筆者も、温かい人柄を偲びながら、これらの作品がいつまでも多くの人に歌い継がれることを心から願っている。
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磯部俶先生の生誕100年を記念して、山本健二さん(S31卒)がCD「磯部俶を歌う―生誕100年記念アルバム―」(税抜き価格1500円)を制作しました。
全20曲で、山本さんが初出の譜による「松の花」など6曲を独唱。合唱曲は須賀敬一さん(S30卒)指揮のいそべとし男声合唱団のほか、山本さんの指揮で早稲田大学グリークラブOBクラブシニア、共立女子大学合唱団OG SAKURA、フレーベル少年合唱団OB会が歌っています。問い合わせはいそべとし男声合唱団へ。