昨年10月のオールワセグリフェスティバルで、私達第8グループ(H23~29卒)はサプライズで「YATTA!」という曲を演奏した。2011年の第60回東京六連単独ステージのフィナーレを飾った曲で、最近のワセグリの演奏で(良い意味でも悪い意味でも)語り草になっている。
六連は演出付きのものをやろうという方針は早くから決まり、バリトンパトリの廣澤秀人君が監督となって、前年から準備を進めてくれた。これまでの演出付きステージは曲目が先に決まり、その後にストーリー・演出が決まるパターンだったが、この時は廣澤君が考えた台本をもとに曲決めが進められた。
編曲者は学指揮、東松寛之の高校時代の友人で、当時、東京音大在学中の久田菜美先生と、彼女の紹介で並川弥央先生に依頼した。なお、久田先生はこれを機に何度かワセグリと共演することになる。
3月13日の春合宿から六連の練習を開始、合宿後に滋賀県へ演奏旅行に行くことになっていた。だが3月11日、東京も激しい地震に襲われ、団員は徒歩での帰宅を余儀なくされ、近隣の団員の家に泊まった者も多かった。春合宿も中止となった。当時、サブ合宿マネの中山幹太君が合宿所のオリンピックセンターに足繁く通って状況を報告してくれたことをここに特筆する。
滋賀演奏旅行は現地の稲門会の熱意で無事開催できた。しかし東京に戻った我々を待ち受けていたのが「自粛」だった。六連も中止が検討されたようだ。廣澤君が六連会議に乗り込み、各団を説得した(ゴネた?)らしい。
演目の「YATTA!」にも団内で議論があった。この曲は全裸に葉っぱ1枚で踊る(実際は肌色の下着を着用)というTV番組のコントをもとにしており、同様の演出を予定していた。世間の自粛ムードの中、「この曲をそのままの演出でやって良いのか」「不謹慎ではないか」……。
だが方向性はすぐに固まった。「この曲は演出付きで演奏するべきだ、不謹慎なんて吹き飛ばせ!」という意見がほとんどだった。自粛しても良いことはないという確信が団内にあったと思う。世間の風潮に対し、反骨の精神を持って活動する早稲田らしい決断ができたと自負している。
六連は成功裡に終わった。その頃にはようやく世間の自粛ムードも解け始めた。六連も演出も諦めずに実現できたことは、今でも大切な思い出として心に深く刻まれている。
東松寛之(H24卒)