第26回定期演奏会(1978年)で取り上げたロックオペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、後にも先にも、早稲田グリーではこの時しか演奏されていない伝説のステージである。残念ながらその時のステージの映像はない。40年も前のことで正直、記憶も曖昧だが、初めて本格的な「演出」のついたステージだった。
当初、演出は福永陽一郎先生が「話をつけてあるから」という二期会オペラの重鎮、西沢敬一氏であった。ところが11月頃になって、西沢氏に連絡したところ、今からそんな練習回数で間に合うはずがないとけんもほろろに断られてしまった。そこで急遽白羽の矢が立ったのが、バリトン4年の田中玄昌(以下、玄昌)であった。彼は劇団四季に籍を置き、地元の浅草でアマチュア劇団を率いていた。
オープニング序曲。緞帳が上がってもステージには誰もいない。不気味な音楽が客席を不安にする。曲がアップテンポに変わると、後扉が開き通路を次々と走り抜けステージに駆け上がる。そしてぐるぐるとただただ走り回る。それが突然、左右の肩を交互に突き出しながら、全員が前へ後ろへとフォーメーションを変え始めると、客席から大きなどよめきと笑いが起きた。
初め、観客の反応は間違いなく「笑い」であった。それがジーザスのメインテーマとともに、天井からゆっくりと十字架が降りてきた時、「笑い」は熱狂の「拍手」へと変わっていた。
変拍子で拍手し、体の向きを変えたり、山台に腰かけて歌ったり、金髪のマグダラのマリアを取り囲み追い詰めたり、歌いながらの目くるめくフォーメーション移動。踊れないグリーを数回の練習でまとめ上げたのは、玄昌の演出力であった。
ミラーボールが回り、ドライアイスのスモークがステージを覆った。ドライアイスは本番前に追加で買いに走っていた。玄昌のやりたい放題だ。「ヘロデ王」では、選抜ダンシングチームが客席の手拍子に乗って踊りまくった。熱狂した観客が立ち上がってセーターを振り回すのが見えた。(堀俊輔先輩だったといわれている)
フィナーレの「スーパースター」へと高まる興奮。奇声を上げ、乗りまくるメンバー。もはや誰にも止められない。最後は十字架に向かって「ジーザス!」と絶叫して終わりだ。いや、まだ終わらない。
「ジーザス!」と叫んだあと、終曲に添ってバラバラに退場し、最後にはステージが空っぽになるという演出だったが、あまりに拍手が大きく、終曲が全く聴こえず、退場のタイミングが遅れ焦った。誰もいなくなったステージに静かに緞帳が降りた。それでも鳴りやまぬ拍手に、カーテンコールの緞帳が再び上がった。
細かいことは忘れた。とにかく、やっていた皆が楽しかったってことだ。今、YouTubeでその演奏を聴くと、若さ爆発で頑張りすぎだ。第4ステージの「十の詩曲」でスタミナ切れしたのも無理ないことだった。 山田民郎(S54卒)