【ワセグリ人】サザンなどアーティスト発掘 高垣健さん(S46卒)


たかがき・たけし 1948年神戸市生まれ。71年に日本ビクター(現JVCケンウッド)入社。72年に分離独立したビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)に移る。99年取締役、2003年常務、16年退社。

 国民的人気バンド、サザンオールスターズがデビューして今年で40年。元ビクターエンタテインメント常務の高垣健さん(S46卒)は、サザンをはじめ多くのアーティストを発掘した名プロデューサーだ。還暦を過ぎ、再び合唱を始めた。
――サザンと初めて会った時、桑田佳祐さんはまだ青山学院大の学生でした。
1977年夏、「面白いバンドがいる」と聞いて、ヤマハのコンテスト「East West」に行きました。そこで今まで聴いたことのないリズム、歌詞がわからないほど型破りな歌い方に興味を持ちました。すぐに原宿の喫茶店で会いました。彼らはまだ学生で、僕も商売っ気はなく、音楽友達のようなノリで付き合いました。でも他のレコード会社が騒ぎ出したので、ビクターと契約してもらい、78年6月にデビューしました。
デビュー曲「勝手にシンドバッド」の曲名は、前年のヒット曲「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」から拝借しました。8月にTBSの歌番組「ザ・ベストテン」に出演し、一気に火が付きました。フジの「夜のヒットスタジオ」では番組史上初めて歌詞がテロップで流れました。当初は〝色物〟にみられましたが、79年の「いとしのエリー」から実力が高く評価されるようになりました。
当時の歌謡界は3カ月ごとにシングルを出すのが常識で、曲作りやレコーディングで七転八倒の日々が続きました。でも彼らはじっくり曲作りをし、ソロ活動もするなど幅を広げていきました。何度も活動休止をしながら、最大のヒット曲「TSUNAMI」(99年)を生み出すなど息の長い活動をしてきました。
サザンほどのビッグバンドが40年もビクターに所属し続け、事務所も変わっていないというのは〝事件〟と言っていいです。サザンを中心とした大きなファミリーが出来上がっているからだと思います。

サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」のレコード ジャケット

――このほか印象深いアーティストは?
仕事で最初に出会ったのがロックバンド「頭脳警察」のPANTAです。京都出身のバンド「くるり」、女性シンガーのUA(ウーア)、斉藤和義なども印象に残っています。

――「スピードスター」「ベイブスター」など新レーベルも立ち上げました。
アーティストを中心に、制作・宣伝・営業を考えていくのが僕の信条でした。半

分、独立する気持ちで、自由にレーベルや組織を作りました。僕も失敗を山のようにして、クビになりかけたり、転勤させられそうになったりしましたが、ずっと上司に恵まれました。

1980年当時の高垣さん

—―10年ほど前から混声合唱団に参加し、ワセグリでも今年初めてOB六連に出演しました。
還暦を機に、カミさんが参加していた練馬区の混声合唱団で歌い始めました。昨年のオールワセグリフェスティバルに参加して、また男声合唱を思い出し、OB六連にオンステしました。これからは音楽を純粋な趣味として楽しんでいきたいです。
(杉野耕一 S59卒)