特別寄稿 川元 啓司(S56卒、カワイ出版前編集長)
38年という時間をどう表現したら良いのでしょう?「炎える母」が初演された1980年は、この詩の舞台となった東京への空襲から35年。それよりも長い時間が経過しているのです。そんな時空を越えて、この作品を出版できたのは、ある種の「奇蹟」に属する事柄です。
我々昭和56年卒のメンバーは、早い時点から新作委嘱の相談をしていました。男声合唱のレパートリーが少ない!同じような曲、作曲家を繰り返し採り上げるしかないという閉塞された環境にいました。今なら世界中の楽譜が手に入り、動画や音もふんだんに視聴できますが、当時は電卓を持っていれば「すげえ!」という時代です。
そこで目をつけたのが、この2年ほどピアニストとして共演した荻久保和明先生。毎日コンクール作曲部門で第1位となったバリバリの若手で、「季節へのまなざし」という混声合唱曲が話題になっている。音楽の縁、人の縁、「この人しかいない」と意見はまとまりました。
高校生でも採り上げやすい、比較的易しくポピュラリティのある楽曲を…と、お願いした筈なのですが、出来上がってみると、重い・長い・難しいの三拍子揃った(?)当時としては非常な難曲が、手書きの譜面から我々を眺めていました。
さあこれは困った、しかし早稲田グリーたるもの、尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいきません。先生から「写譜屋に出すと結構お金かかるよ」と言われ、「それなら私が綺麗に書きます」と言いました。その辺の事情は出版された楽譜の序文にありますので、ご覧ください。
打ち明けますと、カワイ出版に入ってすぐ「炎える母」を編集会議にかけました。結論は出版可。つまり作品の価値は認められていたのです。しかし男声合唱の楽譜の需要なんて微々たるもの。企業である以上、簡単に出すことは出来ません。そうして38年が経ったのでした。
本年度の学生指揮者、田中渉君から「定演で『炎える母』をやりたい」と聞いたのは、昨年の定演の打ち上げでした。千載一遇のチャンス! その場で出版を決めました。
ちょうど4月にOBメンバーズ(OBM)で荻久保先生を客演に迎え、「季節へのまなざし」を演奏、私がその練習指揮をしたことで、良い信頼関係が再構築されていた時でした。現役諸君の絶妙なアシストが入ったことで、この奇蹟の出版は成立したのです。
今はその感謝と、久しぶりに聴くこの作品への期待で胸が張り裂けそうです。12月28日はぜひ、皆さんと喜びを分かち合いたいと思います。