筆者は1987年(昭和62年)卒団であるが、2回の休部があり、在学中にワセグリの演奏会を聴く機会も多かった。また卒団後、幸いにして、現役の定期演奏会と東西四連はすべて、東京六連も2回を除いて聴くことができた。本稿では、この30年余りの演奏会ウオッチャー暮らしで、印象に残った出来事をいくつかご紹介したいと思う。なお、プログラムやCDなどでなるべく裏を取るよう努めたが、必ずしも十分でない点があることを、あらかじめお許しいただきたい。
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ワセグリのストームの定番中の定番と言えば、宮城県民謡「斎太郎節」であろう。とりわけ東西四連では関学グリーの「U Boj」と並び、毎回変わらぬレパートリーとして、各団OBは勿論、多くの観客からも期待が高いのではないかと思う。
記録によると、ワセグリが四連のストームで最初に「斎太郎節」を歌ったのは、82年の第31回四連(大阪フェスティバルホール)だった(当時、四連は2回公演だった)。次は小林研一郎氏の指揮で「縄文」男声版を初演した83年の第32回四連の2日目公演(旧簡易保険ホール)。初日に演奏した「ロッキーのテーマ」から差し替えられた。
そして定番になったのは、井上道義氏の指揮で「ことばあそびうたⅡ」を演奏した85年の第34回四連の2日目公演(東京文化会館)からだ。1日目の公演ではブルックナーの「アヴェ・マリア」が歌われ、2日目もその曲を演奏する予定が、急遽「斎太郎節」へ変更になったという。
変更の理由は定かではないが、1日目の曲の演奏があまり思わしくなく、〝窮余の策〟で、すぐに歌える曲として「斎太郎節」が選ばれたのではないか、と推測している。この2日目公演での演奏は、観客の反応も良かったようである。
それ以降、筆者が聴いた四連すべてで、ワセグリのストームは「斎太郎節」であったが、この不変のレパートリーのきっかけがこのような急遽の変更であるということは、記憶されてよいのではないかと思う。
東西四連は、男声合唱界で最高レベルの演奏会といわれることもあり、観客にも相当耳の肥えた方が少なからずおられる。各団OBにとっては、その年の現役の演奏のレベルや曲の志向などを味わえる機会であるとともに、他の3団体の演奏、ストームを聴くこともまた楽しみであろう。
上述の通り、四連のストームは、ワセグリの「斎太郎節」と関学の「U Boj」が定番で、慶應ワグネルと同志社グリーは絶対的な定番はないといわれる。
かつて東京開催(昭和女子大学人見記念講堂)の時には、公演終了後に渋谷駅前で〝場外ストーム〟が行われたことが数回あった。おそらく今では難しいであろう。さて、今年の東西四連のストームはどうなるであろうか…。
石毛昭範(S62卒、拓殖大学教授)