【岡村喬生さんの思い出】「ダメもと」精神の人生に乾杯!

  柿沼 郭(S53卒)

岡村喬生と世界バス旅行!

「おい、カキヌマ!次は何処へ行く?」
岡村さんの張りのある低音が会場にビンビン響き渡る。「アメリカへ行きましょう」と私が答える。
「曲は何だ?」
「草競馬です」
「よし、行こう!」
掛け声と同時に、ピアノの伴奏に乗せて岡村さんのソロと現役ワセグリによる英語版「草競馬」の歌が流れる。途中に入るムチの音は、旅館で借りて来たスリッパをたたき合わせて出す。大爆笑が沸き起こり、会場の盛り上がりは最高潮に達した。
1977年(昭和52年)8月4日から11日まで、ワセグリ現役は岡村さんと共に夏の演奏旅行を行った。題して「岡村喬生と世界バス旅行」。世界各国の歌をバスのソロと男声四部合唱の共演でお届けするプログラムだ。
訪れたのは尾道、福岡、佐賀、宮崎、下関の5つの都市。当時ドイツの歌劇場専属バス歌手として活躍していた岡村さんの〝一声千両〟の歌声に、地元のお客様は大いに感激したようだった。

演奏旅行での岡村さんと筆者の掛け合いの様子(1977年8月8日、佐賀市民会館)

曲目は「故郷を離るる歌(ドイツ語)」「十二人の盗賊(ロシア語)」「Non ti scordar di me(忘れな草)(イタリア語)」など6曲。曲の間は岡村さんと当時4年生で司会担当の私による掛け合い漫才で進行。歌の内容や背景などをユーモアで味付けし盛り上げた。因みに私がNHKアナウンサーの内定をもらうのはこの年の11月だから、図らずもこの演奏旅行が実践トレーニングとなった。

強烈に印象に残っている出来事がある。佐賀公演の後、ホテルで地元稲門会主催の打上げ会が開かれた。宴たけなわの頃、稲門会の方から「グリーの皆さんに応援歌をハモって歌ってほしい」と要請があった。飲んだ席で歌うとノドが荒れてその後の演奏会に支障をきたす恐れがあると先方に伝えたのだが、「そこを何とか」と懇願される。押し切られた形で私は立ち上がり、「みんな歌うぞ、コンペキ!」と号令。しかもアンコールに応えて、計3曲も歌ってしまった。
宿に帰って私は岡村さんの部屋に呼ばれた。厳かなバスの声が響いた。「気持ちはわかる。だがおまえは止める役目だろう。それを率先して歌わせるとは何事だ! お客さんからお金をとるのだからアマチュアもプロと同じだ!」。心に刺さる言葉だった。

生放送、時間との闘いに冷汗

今や30年の歴史を数え、名古屋の新年の風物詩ともいわれる「NHKナゴヤニューイヤーコンサート」。記念すべきその第1回のコンサートで、私は岡村さんと14年ぶりに再会を果たした。
1991年(平成3年)1月3日、今は無き愛知文化講堂からの生放送。出演は、岡村さんの他、ソプラノの東敦子さん、メゾソプラノの郡愛子さん、ピアノの神谷郁代さん、バイオリンの大谷康子さんなど錚々たる皆さん。オケは円光寺雅彦さん指揮によるナゴヤシティ管弦楽団だった。当時ニュース番組のキャスターをしていた私が、岡村さんの後輩でもあるとして司会に起用された。

ナゴヤニューイヤーコンサートでの岡村さんと筆者(91年)

当日ちょっとしたハプニングがあった。ヴェルディ作曲、歌劇「ドン・カルロ」より「ひとり寂しく眠ろう」を歌う岡村さんがステリハ直前、一枚の紙を私に手渡した。そこには鉛筆で、場面と歌を紹介する語りが走り書きしてあった。「前奏に乗せて君がこれをナレーションしてくれ」というのである。それは台本には無く、関係者全員が寝耳に水。ディレクターは「まあ、何とかやってみて」と言うので急ぎ下読みをし、リハが始まった。前奏の尺が分からず、コメントが歌にかぶってしまい、「遅い!」とお叱りを受ける。しかし何度かやるうちに前奏と読みのスピードをマッチさせることができ、本番はバッチリOKだった。第1関門を突破した。
次の関門は、話が長引く傾向がある岡村さんとの歌後のインタビューだ。事前の打ち合わせで「後の歌い手さんのために、時間厳守でお願いします」と伝えると岡村さんは「分かった!それより話を面白くして会場を盛り上げよう」と軽く請け合った。
私は嫌な予感がしたが、いざとなったら割って入り話を終わらせようと腹を決めていた。ところが岡村さん、テンポ良く話を進め、最後に「ドイツやイタリアは地方分権の国。ニューイヤーコンサートだって地方の劇場がみんなやる。日本の文化も1つのところ中心ではなく、地方分権でいくべきだ。ニューイヤーコンサートを名古屋でやって良かった!」と力強く締めた。会場から大きな拍手がわいた。
話の予定時間は3分。後日ビデオで確認したら2分45秒で終わっていた。さすがプロ!と感服した。

「挑戦に勝る結果はない」

2002年5月18日、渋谷のNHKスタジオ内のゲストソファに、髭をはやした岡村さんの大きな顔があった。「土曜オアシス・すてきに人生」(生放送)のゲストだった。司会は女優の萬田久子さんと私。私にとって2度目のNHKでの共演だった。岡村さんは70歳、私は47歳。岡村さんの話す声の迫力に衰えは全く感じられなかった。

NHK「土曜オアシス」で、岡村さん、萬田久子さんと(02年)

話の勢いは凄まじかった。早稲田在学中に、詰襟の学生服に下駄を履き、手ぬぐいを腰にぶらさげて東京放送合唱団の試験を受けに行って合格したこと。自分の実力不足を思い知らされ、留学延長の資金稼ぎのためトゥールーズ国際声楽コンクールに出て、優勝賞金1000ドルを獲得したこと。さらには、オペラを分かりやすく、安価で、地方でも観られて、海外にも出前するオペラ普及活動に取り組んでいること……。これらの話を滔々と語りまくった。
番組の最後に、人生で大切にしている言葉を、岡村さんは色紙にこう書いた。『挑戦に勝る結果はない』。「目の前に来たチャンスは絶対に試さないといけないと思う。たとえ失敗しても自分は挑戦したことで喜びがあるから満足だ。挑戦することの方がずーっと意義がある」と情熱を込めて語った。
岡村さんはあらゆることにダメで元々の「ダメもと」精神でぶつかっていき、自分を追い込みながらも、チャンスの扉をこじ開けてきた。
そんな岡村さんのオペラ「ダメもと人生」第一幕は終わった。あちらでの第二幕ではどんな場面が展開されるのだろうか。ご冥福をお祈りする。合掌