遠藤 守正(S37卒)
岡村喬生さんがヨーロッパでの仕事をやめて、日本に帰ってこられたのは昭和54年のことでした。当時、私の仕事は税理士で、岡村さんと同期の福井忠雄さん(S29卒)の紹介で岡村さんと会い、以後、税務顧問として仕事をすることになりました。
昭和61年秋、仕事の形態を法人にしたいという要望があり、当時司法書士になったばかりの海老原幸夫さん(S45卒)に連絡を取り、有限会社岡村喬生事務所の設立を依頼しました。
岡村さんは忙しく、当時、JR代々木駅の近くにあった二期会の事務所の隣の喫茶店で、設立登記の書類にサインをもらったり、実印を押してもらったりした思い出があります。
しかし会社の実務を取りしきっていたのは奥様の和子さんでした。和子さんは東京藝術大学声楽科出身の美人ソプラノ歌手で、東京放送合唱団にいた時に岡村さんに見そめられました。
岡村さんが専属第一バスを務めたドイツ・ケルン歌劇場のコーラスにも入って現地の人と積極的に交流されていました。よく「ヨーロッパでは、日本人は『第九』をなぜ暗譜で歌えるの?と不思議がられました」と話されていました。
私が岡村さんのご自宅にほぼ毎月伺っていたころ、和子さんはスキッとした物腰で温かく迎えてくださいました。会社のことで、岡村さんが時に高圧的に話す際もサラリと受け流し、物事をテキパキと処理して、岡村さんも完全に任せていました。夫婦一緒に外出することも多かったですが、喧嘩をしているのを見たことがありません。まさに「夫唱婦随」、しかし対等でかけがえのないパートナーとして、岡村さんの活動を支えてこられました。
設立から30年後の平成28年9月、今度はこの会社の解散の登記を行うため、会社の事務所に同じメンバーが集まりました。設立の時には和子さんが参加されていましたが、お亡くなりになっていましたので、今回は長男の康生さんが参加されました。司法書士と税理士がともに同じ会社の設立から解散まで30年にわたって事務の代行をするのは珍しい事象と思われます。
岡村さんの事業で毎年行われていたものに、シューベルトの「冬の旅」のコンサートがありました。同じ歌手の同じ組曲を30回以上聴くというのも珍しい体験です。聴くだけで暗譜できそうな感じがしました。
このコンサートの特色は原則として毎回ピアニストが代わることでした。何回か同じ人も担当しましたが、ピアニストによって曲の感じがこれほど変わるものかと驚かされました。
中でも特に印象が強かったのは、イエルク・デームスさんと高橋悠治さんでした。デームスさんは、ピアノの音が如何にしてあのように人間の声に寄り添うように鳴るものかと、まさに絶妙というべき響きを聴かせてくれました。
高橋さんは、ともするとピアノ伴奏ではなく、歌とピアノの別々の曲の協演のように聞こえ、しばらくするとまたシューベルトの歌曲に戻っているという独特の味わいがありました。
古いOBにはご存じの方が多いと思いますが、サトウハチロー作詩、磯部俶作曲の「美しきためいき」という曲があります。この曲は男声合唱が付いていて、岡村さんと早稲田グリーを想定して作曲されたものです。素晴らしい曲なので、忘れ去られて無くなってしまわないように、OB会全体で歌い継いでいきたいと切に希望します。