【音楽リレー評論】松本隆とオペラ~作詞界の巨人、言葉で聴衆を魅了

和田 ひでき(H04卒、声楽家)

今夏、作詞活動50周年トリビュートアルバム「風街に連れてって!」がリリースされた、松本隆。言わずと知れた作詞界の巨人である。伝説のロックバンド「はっぴいえんど」からスタートし、太田裕美や松田聖子をはじめとするポピュラーソングでの業績は知らない人はいないだろう。
彼にはクラシック音楽関係の仕事もある。一番知られているのは、シューベルト三大歌曲集の日本語訳詞だろうか。実はオペラの台本も書いている。題材は能のスタンダード「隅田川」さらわれた息子を探す狂女の哀切な物語だ。オリジナルに忠実ながら、詞は松本の現代語によるもの。そしてその初演は僕がしているのだ。
2007年、東京文化会館の主催企画で、当時の芸術監督、大友直人のアイディアで、作曲に千住明、そして作詞松本隆というワクワクする布陣。フルキャストオーディションで、若手歌手が抜擢された。
まず初めにキャスト全員で隅田川伝説の舞台とされる「木母寺」の秘蔵資料を見学。そして最初の読み合わせ、すべて松本、千住の両氏も参加しており、実に丁寧な仕事の進め方だった。
能の映像資料や文献も松本主導で配布され。その全面的な参加に少し驚いたのを覚えている。松本は「ロック、ポピュラー共に満足できる業績を残した。次はクラシックでも…」と力強く語っていた。
まず初めにその言葉に魅了された。「子を慕う愛は盲目 乱れ髪 宙を彷徨う…」。1日で書いたと言っていたが、歌として流れる上に意味がしっかりと伝わってくるのだ。そして稽古が進み、熱が入って来る。僕の役は隅田川の渡し守。狂女に、さらわれた息子の死を伝える重要な役だ。なにせ悲しい話なので否が応でも盛り上がる。
その時、松本が一言ダメ出しした。「そんなに歌い上げたら、日本人のお客さんは引いちゃうよ。もっと何もしないで!」。普段はイタリア人のように、もっと情熱的にと訓練されているので、驚きつつ、こんな地味で伝わるのか?と思いながらの本番だった。
満員の聴衆は、静かに静かに歌い継がれる歌を聴き、すすり泣いていた。客席の感情が舞台を侵食するように伝わってくる。そんな体験は初めてで「日本」について改めて考える契機にもなった。
「隅田川」はその後、2回にわたって再演された。その後は諸般の事情で上演がないようだが、もう1度ぜひ歌ってみたい。初演時の片山杜秀の評「こんな新作が増えれば、日本の現代音楽の間口も広くなる」。その状況は今も変わらない。