男声合唱組曲「夢の意味」の初演が行われたのは、2008年の第56回定期演奏会。この年は、小田和正氏の「この道を行く」初演などを盛大に行った100周年の翌年でした。当時私はトップテノールのパートリーダーを務めていましたが、練習部門のメンバーと話し合い、第56回定演では「早稲グリのこれからの100年」をキーワードに、新たな一世紀の始まりを表現すべく、最終ステージで若手作曲家の方の委嘱初演を行おうと決めていました。
上田真樹先生の合唱組曲「夢の意味」に行き着くきっかけとなったのは、07年2月26日の「東京混声合唱団第209回定期演奏会」です。この時は混声版「夢の意味」が初演されました。当時会場で演奏を拝聴しましたが、透き通ったハーモニーや第4、5曲目のダイナミクスに強く感銘を受け、帰りがてら団員と「この曲を演奏したい!」と熱く語り合ったのを覚えています。
上田先生とは前年の「稲風」委嘱などで既にご縁があったため、先生ご自身に男声版への編曲を直接依頼させていただきました。上野の喫茶店で打ち合わせをした際、とても緊張したことを覚えています(コーヒー代を奢っていただき、自分たちはまだまだ学生、子供なのだと痛感……)。
また同年は「男声合唱版・土の歌」の初演も予定していたため、前倒しでしっかり練習せねばと意気込んでいました。しかし、待てど暮せど楽譜が来ない!とにかく来ない!(混声版も演奏会3日前に楽譜が完成したらしい)
団内からも不安や不満の声が上がり続けたため、終いには11月初めに練習部門一同で「上田先生の家に押しかけよう!」と怒涛の電話攻撃・訪問予告を仕掛け、先生を猛烈に慌てさせる事態に陥りました(なお、私は当時ポン女の責任者=現在の妻=と交際しており、同日に行われたポン女合唱団の定期演奏会やレセプション参加・送迎などをしており、突撃には参加していません)。その甲斐もあり(?)、以降は段階的に楽譜がそろい始め、どうにか本番までにしっかりと練習を重ねることが出来たのでした。
私の心に最も刺さっている詩が、「玉響(たまゆら)の 命よ 命 せめては 夢よ 覚めるな夢」の箇所です。卒団を目前とした当時の我々にとって、この詩は早稲グリライフの走馬灯のように感じました。林望先生の意図として、「覚めるな夢」の「夢」は「ゆめゆめ(けっして、まったく)」と意味をかけているそうです。
青春という玉響(ほんの一時)の夢から覚めたくない、まさに卒団ソングとして最適な楽曲だったと感じるとともに、来たるOB六連では、様々な世代が混じり合う演奏から違った味わいが生まれるのではと楽しみにしています。
(武内一矢 H21卒)