和田 ひでき(H04卒、声楽家)
先日、プーランク「人間の声」、そしてメノッティ「電話」というオペラの2本立て公演を監修、そして出演した。両作品とも「電話」が中心になって話が展開するオペラである。
実は電話機が出てくるオペラはとても少なく、ポピュラーなものはこの2本くらいだと思う。理由は簡単、現在上演される多くのオペラの初演時には電話が未だ普及していなかったからだ。
「人間の声」の原作はコクトーの戯曲で1930年初演。女性が電話で別れ話をしている場面を描いた一人芝居だが、このころは既に観衆にも電話のイメージが行き渡っていたのだろう。作中では交換手との会話が描写され、混線も重要な要素だが、今は若い観衆には説明しないとわからない。
メノッティの「電話」は1947年初演で、当時のアメリカの若者を描いたもの。こちらはすでに自動交換機が導入されている。突然かかってくる、電話という技術への、驚きと軽い嫌悪が文明批評的な視点で描かれている。ちなみに稽古でよく経験するのだが、ダイヤル式電話の掛け方がわからない若い俳優、歌手が本当に多くなった。かつては新技術だったはずが意外に古びるのも早いのだ。
電話が発明される前の遠距離通信といえば「手紙」だが、こちらはオペラで大活躍。手紙が関わる名シーンは数多い。タチアナが意中の人に思いのたけを綴る、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」の手紙のアリア。マスネ「ウェルテル」ではウェルテルの自殺をほのめかす手紙を、恐怖しつつ読み上げるシャルロットのアリア。手紙という媒体は、書き手の気持ちがまとまって長く書かれているので、1人きりでの長大な歌唱シーンがある古典オペラにとって、とても都合のいい媒体なのかもしれない。
アンサンブルではモーツァルト「フィガロの結婚」の手紙の2重唱。伯爵夫人とスザンナが偽手紙を書く、遊び心あふれる場面だ。世界一美しい2重唱と称えられる名曲が思い出される。手紙は技術的な変化が少ないので、今の聴衆も抵抗なく理解できる。ローテクノロジーの強みというところか。
これからどんな通信媒体が舞台で描かれるのか。すでにSNSを中心に据えたミュージカル「ディア・エヴァン・ハンセン」などのヒット作も生まれている。常に「今」を求めるクリエイターたちの面目躍如だが、こちらも年のせいか、娯楽の世界くらい懐かしい時代に思いをはせたい気もする。