堀俊輔さん、4月9日に「マタイ受難曲」指揮~合唱大曲演奏の集大成

早稲田大学グリークラブOBの指揮者、堀俊輔さん(S50卒)が4月9日(日)、東京・紀尾井ホールでバッハの「マタイ受難曲」を指揮します。最近の活動報告とともに、ワセグリOB会創立70周年記念演奏会についても語っていただきました。

▼復活祭の日に合わせ演奏

堀 俊輔さん ©堀田力丸

私はグリークラブで合唱経験を積んだお陰で、オーケストラとともに合唱との関わりがたくさんありました。長年合唱付きの大曲を演奏してきましたが、今回の神奈川フィルハーモニー管弦楽団との「マタイ受難曲」はその集大成になります。
合唱団の「オラトリオ東京」は1994年、独立した音楽団体として私が優秀な合唱人に呼びかけて結成したものです。アマチュア団体ではありますが、演奏水準の高さには定評があります。
演奏会当日の4月9日はまさしく復活祭(イースター)の日で、「マタイ受難曲」に相応しい日です。それに合わせて会場を取りました。私は長い間バッハを温めていました。恩師、故礒山雅先生のプランに従って演奏したいと思います。


▼OB会創立70周年演奏会に寄せて

コロナ禍で音楽業界は打撃を受け、私自身も随分仕事が減りました。でもそんな時、OB会創立70周年記念演奏会を小林研一郎先生が指揮されるというビッグニュースを知って狂喜しました。まさに、わが早稲田でないと出来ない奇跡的な企画だと思います。
小林先生は私が2年生の時の1972年にお迎えし、卒業するまで3年間振ってくださいました。強力な音楽力、マネージ力があった2年上の昭和48年卒の先輩方のお陰で、早稲田グリーが今日まで続く他の追随を許さない新しい伝統がこの時始まったのです。

小林先生との初めての定演は、三木稔「レクイエム」でした。定演でプロオーケストラと共演したのは早大グリーが嚆矢ではないでしょうか。冒頭の“聞こえるか友よ、海鳴りの声が”を歌い出した時の身体中が震えるような感激は今も鮮明に甦ります。確かにあのステージは私の将来を決めました。
その時のオーケストラは後に指揮者として入団することになる東京交響楽団でした。定演の15年後、東響のプログラムの指揮者欄に、秋山和慶、小林研一郎、堀俊輔と3人並んだ時は私の人生でも最も幸せな時でした。

小林先生がグリーに来られた時は頼りになる兄貴分という感じで、よく愛車の赤いフェアレディに乗せて頂いてあちこちドライブしたものです。将棋も指しましたが、先生は大内延介九段の直弟子、勝てるはずがありませんでした。
そうこうする間にブダペスト指揮者コンクールで優勝され、一躍世界のコバケンになられました。あれから50年、常に指揮界のトップランナーであり、今日も実力、人気を併せ持つ偉大なマエストロです。私がそんな小林先生の後ろ姿に憧れ、指揮者の道に進んだのも当然の成り行きでした。
記念演奏会のプログラムはみんな小林先生の十八番ですね。名演が期待出来ます。因みに、私の現役最後のステージも小林先生の「月光とピエロ」でした。

OB会は70周年、私も学生指揮者時代を含めると、マタイ受難曲を「指揮生活50周年記念演奏会」と位置づけています。私の起点は74年の東京六連で間宮芳生「合唱のためのコンポジションⅢ」を指揮した時です。その演奏は小林先生にも聴いて頂きました。70周年記念演奏会の成功をお祈りしますとともに、私の記念演奏会にもぜひお越しください。