私が高校生の頃、北海道で男声合唱を楽しむには北大、小樽商大などの演奏会に行くか、レコードで聴くぐらいしか手段がなく、そのレコードは東西四連の合唱団に、指揮は福永陽一郎先生・木下保先生・畑中良輔先生等々、まさに憧れの世界でした。
無事グリーに入部して、福永先生をはじめ素晴らしい指導者に恵まれたわけですが、中でも小林研一郎先生との出会いは衝撃でした。私の在団中では、1978年四連の三木稔先生の「レクイエム」、80年四連のマーラー「さすらう若人の歌」、もうひとつ挙げれば81年の東京交響楽団第268回定期演奏会でのベルリオーズ「ファウストの劫罰」。
プロの・一流の・オーケストラの指揮者というものが、どれほど凄いのか、学生指揮者として指揮の勉強を始めた私には、一種の「畏怖」とも言える感情が起きたものです。無駄な動きがなく、また決して無理を強いるのではなく、いつの間にかその音楽の世界に引きずり込まれてしまうのです。
80年の「さすらう若人の歌」については、グリーのレパートリーとしては初の曲でした。福永先生の編曲譜は、例の横長の楽譜に合唱部分の音だけが記されたものでした。ピアノも重要な役割を担うため、これでは練習の効率が悪いと思い、ピアノ伴奏のついた歌曲の楽譜を購入して、手書きで合唱とピアノによる楽譜を作り始めました(「炎える母」の記事にも書きましたが、もちろんコンピューター浄書などない時代で、また団の財政を考えると業者に出すのも憚られましたので)。
いろいろな版があるのでしょうが、その歌曲譜は4番の「Die zwei blauen Augen」がf-mollで始まっていました。つまり3番の「Ich hab’ ein glühend Messer」の終止の和声と同じ調性です。ところが福永先生の譜面は、オーケストラ版と同じfis-mollで、半音高く書かれています。
頭の中でピアノの音を半音上げながら手書きの譜面を作る作業は、大変でしたが、楽しいものでした。まさか30年後、その譜面を元に出版することになるとは思いもしませんでした(誤植がある点、お詫びいたします)。
当時のエピソードをひとつ。高田馬場に「ごっつあん」という炉端焼きの店がありまして、そこのご主人が大のクラシックファンだったこともあり、練習後にいつも通っていました。小林先生のとある練習の後、先生もお連れしてその店に行ったのです。飲めや歌えやの大騒ぎでしたが、ご主人の感激ぶりは大変なもので、生涯忘れられぬ夜になったことと思います。ご主人はその数年後にお亡くなりと聞きました。店ももうありませんが、きっとその夜の感激を心に抱いて逝かれたことでしょう。瞑目させていただきます。
さて、小林先生の練習に際しては、私からとやかく言う必要もありませんので、先生の作る音楽に身を委ねてください。素晴らしい演奏にいたしましょう。
川元啓司(S56卒)