昭和56年卒「さすらう若人の会」、札幌に22人が集結~北の大地に歌声響かせる

平賀英彦(S56卒)

7月12日、酷暑の東京とは打って変わって気温19度と涼しい北の大地、札幌市のジャスマックプラザホテルに、22人の元“さすらう若人”が集結しました。

我々昭和56年卒は、自分たちが4年次の第29回東西四連で小林研一郎先生指揮による「さすらう若人の歌」で、グリー史に残る名演(自称)を行ったことにちなんで、同期会を「さすらう若人の会」と名付けて、数年に一度集まっています。

同期会は川元啓司氏の指揮によるクラブソングで幕を開けました。3つのテーブルでそれぞれ話がはずむなか、事前に幹事に送付していた写真データを使った近況報告も進んでいきました。まだ仕事をしていたり、学会活動をしていたり、またはボランティア活動をしていたりと、“集まり散じて見た目は変われど”皆さん結構ご活躍です。途中、集合写真の撮影を挟んで宴は午後6時まで続きましたが、皆話したいことが多いため、近況報告が済んだのは半分ほど。後は2次会でとなりました。「U・Boj」で締めて散会となった時には撮ったばかりの集合写真もできており、幹事の手際の良さに一同感嘆。勢いのまま、ススキノの街へとくりだしました。

2次会は幹事の南部孝幸氏の行きつけのラウンジ「プリマベーラ」貸し切りという豪華版。エールで始まり、近況報告の続きをしながら、「最上川舟歌」「見上げてごらん夜の星を」「遥かな友に」と歌い続け、最後は「早稲田の栄光」でお開きとなりました。その後さらに3次会へ行き、ホテルに戻った時は日付が変わっていたという御仁もおり、元気に札幌の夜を楽しんだようです。

翌日は各自自由行動。前日同様、さわやかな気候に誘われ、多くの人が観光に出かけたようです。ただ、帰りの飛行機は、昼過ぎに起きた新千歳空港の停電に巻き込まれた人が結構いたようです(筆者もその1人)。幸い短時間で回復し、全員無事帰京でき、土産話のひとつになりました。

今回の会では入念に多彩な準備をし、お土産まで用意してくれた幹事の南部、柳橋三千雄の両氏のご尽力には感謝、感謝です。また、記憶がおぼつかなくなった参加者のため愛唱曲の楽譜を作成してくれた井上靖夫氏にも感謝です。次回は2年後に小林淳氏が幹事で佐渡島で開催と決まりました。また元気でお目にかかれるよう、皆さんこの酷暑を乗り越え、元気に過ごしましょう。