佐藤 拓(H15卒、指揮者)
2002年2月、現役の学生指揮者だった私は演奏旅行でフィンランドとバルト三国を回っていた。自身の指揮デビューでもあり、初めての海外での演奏ということもあって、驚きと発見ばかりの日々だったが、中でもひときわ際立って胸に残っているのは、エストニアのタリンで行った年金生活者のための演奏会のことだ。
年金生活者という冠はあるが、観客には高齢者だけではなく学生と思しき若者、子連れの母親なども多くいた。実質公開ゲネプロのような形で、チケット価格はかなり低め、歌う我々も正装せず私服でオンステ、という幾分フランクな演奏会だった。
この演奏会の最後に、指揮者の松原千振先生がエストニアの第2国歌の「Mu isamaa on minu arm」(我が祖国、我が愛)を歌うことを客席に告げると、観客は一斉に起立して胸に手を当てた。エストニア人はこの歌に特別な思いがあるということ、観客は起立して聴くだろうということは、事前に松原先生から聞かされていたのだが、それを実際目の当たりにした私に唐突な感情の昂ぶりが起こった。
客席を見ると、涙を流しながら天を仰ぐ人、目をはらしながら我々と一緒に歌う人が目に入り、私も涙をこらえられず、嗚咽混じりになりながら必死に歌いきった。曲が終わると、長い静寂のあと、万雷の拍手が我々を包み込んでくれた。控室に戻ると、グリーメンは皆泣いていて、ただお互いの泣き顔を見て微笑みながら、言葉にできない感動を共有していた。
あの感動は一体なんだったのだろう? 芸術的な達成感とも、苦難を耐えてきたエストニア人への同情とも、目の前にある涙からのもらい泣きともいえない。ただあの場にいる人間が、「歌」を媒介にして、なにか大きく美しいものを全員で分かち合っていたような、不思議な感動だった。
あれから16年経つが、一度だけ似たような経験をしたことがある。東日本大震災直後の2011年5月、グリーの同期有志を中心に被災地へ歌のボランティアに行った際、宮城県気仙沼市のとある寺で歌った「斎太郎節」。我々の歌に地元の人たちが自由に手拍子や合いの手を入れてくれ、中には踊りだす人、大泣きしている人もいた。本物の民謡の姿、人間のエネルギーの豊かさ、悲哀と希望……。いろいろなものが混じり合って、やはり言葉にできない感動に激しく揺さぶられた。
あの感動を、歌だけが呼び起こしうる感動を、またいつか味わいたい。その思いゆえに、私はこれからも音楽、そして合唱から離れることは決してできないだろう。