【音楽リレー評論】「求められる声」多様化~合唱で王道の発声置き去りも

 和田 ひでき(H04卒、声楽家)

ここ何年かで、自分が出演した作品を思い起こしてみる。古いものではカッチーニやモンテヴェルディなど16世紀末から17世紀のオペラ黎明期の作品。そしてモーツァルト、ヴェルディ、ビゼー、プッチーニと言った古典派、ロマン派からヴェリズモに到る、クラシックとしては最もポピュラーな作品群、そしてリゲティなどのいわゆる現代音楽に加え、別宮貞雄、間宮芳生、最近では千住明など邦人オペラ、そして日本の新作ミュージカルに劇団四季まで。一人の平凡な日本在住のシンガーがこれだけの種類の仕事をこなしていることにちょっと驚く。一昔前にはなかった状況のように思うし、クラシック歌手の「声」への感覚は随分変化しているように思う。

 古楽の研究が進み、今ではバッハ以前の作品をモダン楽器で演奏する方が珍しくなっている。当然唱法にも変化があり、ノンヴィブラートやメッサ・ディ・ヴォーチェの徹底、声量がそれ程求められない代わりに、より音色の多様な表現が求められるスタイルは当然発声にも影響を与える。広く見れば西洋的な発声とも言えるが、やはり厳然と違いはあると感じる。ミュージカルではもちろん、現代オペラの一部でもマイクの使用が基本で、当然マイクの性質を生かした声が求められる(実は古楽とミュージカルの「声」感覚はかなり似ていると思うが、紙数が足りないのでまたの機会に)
 考えてみると、いわゆる王道クラシック、主にロマン派の時代は劇場が巨大化し、楽団が巨大化し、それを乗り越えて客席に届く声量、均質な響きが求められた。それが私達になじみ深いオペラティックな声楽のスタイルなのだと思う。歴史上は長く見ても150年くらいの短い期間、支配的だったスタイルと言えるのではないか。
 クラシックシンガーの多くはその時期の発声を当然学ぶので、その前後のレパートリーの上演の時はそれなりにアジャストしながら対応する場合が多いし、結構できるもんだなあというのが正直な所。聴衆的には多様なスタイルが楽しめる良き時代なのではないだろうか。
 翻って、早稲田大学グリークラブのヴォイストレーナーとして日本の合唱界をみると、こちらは逆に王道クラシックの発声が置き去りにされた「中抜き」のような状態に見える。ルネサンス、バロック、現代作品といったレパートリーの合唱団が多いからか。早稲田グリーはそれとは一線を画し、王道クラシックの発声も身に着け、かつ違うスタイルに知的に柔軟に対応できる「声」を目指してトレーニングしている。ぜひその成果を12月の現役グリーの定期演奏会で聴いて頂きたいと思う。