77年前の出来事です。父の従弟で、戦闘機の零戦乗りの「トクちゃん」が、第2次世界大戦のガダルカナル島で戦死したとされ、葬式を済ませたのに、戦後ひょっこり帰郷したと、両親から聞かされていた。
2年前、両親の墓参の後、茨城県の霞ヶ浦湖畔で予科練記念館を見つけた。トクちゃんの本名を知らずに名簿を探すと、「平橋読千代(とくちよ)」を発見。この人がトクちゃんか? 調べると、祖父の弟が土浦の平橋家を継いでいた。さらにインターネットで検索すると、数奇な運命がわかってきた。
昭和7年、予科練3期生(当時は70倍以上の倍率)に合格してパイロットになり、昭和17年5月にガダルカナル島対岸の水上基地に赴任。翌月、日本兵900人がほぼ全員戦死する米軍の奇襲を受けた。それ以降、日本側の記録はない。
さらに英語で検索すると、米国人記者が出版した「地獄の島ガダルカナル」の中に、トクちゃんを見つけた。凛々しい航空服姿の写真と、捕虜になった経緯が詳しく掲載されていた。
トクちゃんは米軍奇襲の際、20人程の仲間とジャングルに逃げた。生き延びたのはわずか2人で、最後は島民に捕まり、記述は終わっていた。さらに捕虜はニュージーランド(NZ)の収容所に移されたことが判った。NZでも日本人捕虜の本があり、トクちゃんは終戦翌年の昭和21年2月に日本に帰国と記され、名前入りの写真もあった。
トクちゃんは突然生還した後、親族の前から姿を消した。生きて虜囚の辱めを受けずと言われた時代だから、想像を絶する葛藤があったはずだ。その後のことはわからず、遺族を探した。半年後、お嬢さん2人と連絡がつき、姉と一緒にお会いした。父方の曽祖父母が同じ血族になる。長女の武子さんは、父親の生還時、私たちの祖父の家で対面したという。幼少時の記憶が幾つも符合し、共に両親の苦労を偲び合った。
トクちゃんの一家は土浦、京都、東京と移り住み、様々な仕事をして家族が助け合ったという。同期の戦友との再会が励みになったとも聞いた。75年に59歳で亡くなった。
さらに驚いたのは、武子さんのご主人がグリー先輩の須山高さん(S38卒)と判ったことだ。その後、須山先輩にご挨拶した。音楽の縁がお2人を結び、トクちゃんと小生をつないでくれたのだ。
本紙前号でお伝えした米シアトルの日系3世は、父の母方の曽祖父母が同じ血族で、血族同士が日米に分かれ、戦争に翻弄された。この機会に戦争で苦労した先人を偲び、平和のありがたさを噛みしめて若い世代に伝えたい。
中嶋(旧中山)勝彦(S42卒)