そぼ降る冷たい雨の中、私たちは藤沢の町から少し離れた丘の上に建つ、セレモニーホールに到着した。
一輪の花を手に、福永陽一郎先生の少しはにかんだ人懐っこい笑顔を見上げながら、「ああ、いろいろなお話をもっと聞きたかった」と思ったことを思い出す。皆申し合わせたように押し黙っていた帰りのバスの中、不意に誰かが「俺たちこの先どうなるんだろう…」とつぶやいた。
その晩、藤沢から帰宅した学指揮、K君のアパートには一通の大きな封筒が届いていた。差出人は福永陽一郎先生、来たる東京六連に向けて私たちのために選んでくださった「ヴェルディ・オペラ男声合唱曲集」だった。ふと消印を見ると平成2年(1990年)2月10日、先生が旅立たれたまさにその日。とめどなく流れる涙を抑えることができなかったと、後年彼は述懐する。
六連の日まで三ヶ月足らず、もはや代わりの先生が見つかるはずもなかった。翌日のマネ会の場で皆困り果てて黙り込んでしまったとき、バリトンのM君が沈黙を破った。
「じゃあK、お前が振れよ」
「えっ? お、おう、わかった」
その場に一緒にいらした久邇之宜先生も、「全力で応援するから皆で頑張ろう!」と激励してくださった。
ところが、福永先生の代役という重責を担うことになった彼は学業どころではなくなり、卒業がさらに2年遠のいてしまう。
「郷里の父が非常に立腹し、グリーなど辞めてしまえと叱責された。六連までは何とか許しをもらったが、これを最後に俺はグリーを去る」と、彼は私たちに打ち明けた 。
そして迎えた4月30日の六連初日、オーチャードホールの大舞台で、緊張した面持ちのK君の鋭い目線が私たちに向けられた。
「オペラの合唱曲には、情景描写が託されている」
前年の藤沢市民オペラで福永先生から教えていただいたことを、学生なりにしっかり咀嚼した彼のタクトで、皆精一杯歌った。
終演後、郷里の九州から聴きにいらしていたK君のお父様から「涙が出た。これからも息子をよろしく頼みます」とのメッセージが伝えられ、私たちもひと安心。天国の陽ちゃん先生も、きっとニコニコしながら聴いてくださったに違いないと、あれから二十数年がたった今でも思う。
(村上政道 H03卒)