【音楽リレー評論】仏田舎町のコンクール~名前読み違えられ 力抜けて歌う

和田 ひでき(H04卒、声楽家)

 南フランスの中心都市トゥールーズから、バスで1時間くらい行っただろうか? 中世の遺跡が残る小さな町、リユームが見えてきた。明日から6日間、この町で名物の声楽コンクールが行われるのだ。
2003年夏、僕は既に34歳。一般にヨーロッパの声楽コンクールは日本より年齢制限が厳しい(29~30歳くらいが多い)。受験できるコンクールを探して、8月のヴァカンス・シーズンに、この田舎町までやってきたのだった。
書類審査を通って予選に臨むのは100名程いただろうか。日本のコンクールだと女性が9割ほどを占めるが、こちらでは大体男女半々だった。
1次予選は無事通ったが、自分の出番が終わった後、会場で聴いたところでは、なかなか優秀な歌手が揃っている。これは手ごわいなあ、と感じていた。せめてファイナルには行きたい。次のセミファイナルは通らねばと思っていると、その手ごわい歌手が車で出発の様子。事情を聞くと「暑くて死にそうだから」国へ帰るらしい。どうやら寒い国の歌手たちはかなり弱っているみたいだ!
その年、猛暑のパリでは熱中症で老人がバタバタと亡くなり、ニュースは30年ぶりの異常気象と騒ぎ立てていた。南仏も例外ではなく、自然発火による山火事が起きていた。気温は40度。もちろん僕も暑かったが、東京の湿気のある夏に比べれば楽なものだと言い聞かせ、セミファイナルに臨んだ。
待機場所に向かうと、僕の直前の歌手はもう歌劇場で歌っているという巨漢のベルギー人テノール。見かけは、かのパヴァロッティのようだ。曲は重量級テノールの代表曲ともいうべき、オペラ「道化師」より「衣装を着けろ」。バッチリ決められたら嫌だなあ、と聴いていると、最初からなんだか変な声。これ大丈夫か?と思っていると、クライマックスで、バリバリバリと豪快に声が割れた。袖に戻ってきた彼は気の毒なくらい意気消沈。人の失敗を喜んではいけないが、若干ホッとしていると、名前が呼ばれた。「22番、ヒドゥレキ・ワパ!」。誰だよ!と内心ツッコミをいれたが、これは僕の字が汚かったせいで、誤って読んでしまったらしい。おかげで力が抜けたのか、無事歌えて(曲は「フィガロの結婚」より伯爵のアリア)、 客席の一般聴衆からも「ブラヴォ!」の声が飛んだ。
異常気象と、直前の歌手の大失敗のおかげかもしれないが、ファイナリストになることができたのだった。最終的には順位はつかず、ファイナリスト止まりではあったが、今も夏になると、南仏の酷暑の日々を懐かしく思い出す。