多田武彦さんの思い出  男声合唱の最高の手本


坪井秀夫(S28卒)

坪井秀夫さん

 昨年12月に亡くなられた多田武彦さんと私は、それぞれ京都大学と早稲田大学での同期である。
初めてお会いしたのは昭和27年5月(1952年)、京、慶、早の三大学交歓演奏会で、京大:多田武彦、ワグネル:田中孝、早稲田:坪井秀夫のいずれも学生指揮者であった。失礼ながらこの時の印象は薄い。華奢な方だなぁと思った記憶がある。
この頃、ワセグリは発展途上の真っ最中で、この2週間後の第1回東京六連では100名超のオンステをするという快挙を成し遂げた。そして9月には第1回東西四連が京都と大阪で開催されるという記念すべき年であった。
後年、多田さんは述べておられる。
「(前文略)私が早稲田グリーの演奏で感銘を受けたのは、昭和27年4月から7月頃にかけて、当時磯部先生に代わって4回生の坪井氏が指揮をとり、二グロスピィリチャルなどを歌われていた頃でした。伸び伸びとした発声、小細工を弄さない解釈、整然としたハーモニー、何か新しいものを創造しようという意気込みが感じられると共に、演奏そのものは二グロスビィリチャルの精神的内容を実にオーソドックスな内容でまとめ上げられていました。いわば『学生合唱団の神髄』がひしひしと感じられていました。(後略)」。(第1回稲門グリークラブ定期演奏会プログラム)

社会に出てからは、互いに西と東に分かれてお会いすることもなかったが、ある時訊きたいことがあって電話したところ、昔話に花が咲いて延々1時間余り、私の長電話記録になっている。
またシニア会の演奏会で指揮をされた折、楽屋を訪ねたところ、またまた話し込んでしまい、出演時間に現れないので、進行係に引っ張り出されるという一幕もあった。話題が豊富で人懐っこく、話し始めると留まるところがない。
一度訊ねたことがある。
「『柳河風俗詩』を作曲されたとき、それまで柳川に行かれたことがなかったのですか」
「その通りです。行ったことはありません」
その感性の豊かさには改めて深く感じ入った。
「男声合唱の神髄はアカペラにあり」と信じる私にとって、多田作品は最高の手本であり、男声合唱を志すすべての方々も同じ思いを抱かれていることと思う。その方と親しくご好誼頂いたことは私の一生の宝物であり幸せに感謝します。
私も88歳、彼の地で多田さんと再会するのも間近。
多田さん、その折にはゆっくりお話ししましょう。