【素晴らしき童謡の世界①】芽生えから今年で100年 「赤い鳥」に西條八十の詩


山本 健二(S31卒、声楽家)

「かなりや」が掲載された「赤い鳥」大正7年11月号

 「幼児虐待、増加の一途を辿る」。気になる新聞の見出しだった。妊婦さんや幼児の母親のなかに「やさしさ」や「思いやり」の欠如した人がいるのだろう。なんとかならないか。
そうだ、妊婦さんに童謡を聴いてもらおう。つてを頼って横浜市白楽のコシ産婦人科医院にお願いして、2011年6月より月1回の「童謡ミニコンサート」を始めた。曲は「揺籠のうた」「七つの子」「赤とんぼ」などである。16年11月からはCD「おなかの赤ちゃんうたがすき」を差し上げている。
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妊婦さんの反応は、久しぶりに聴いて懐かしかった、赤ちゃんが産まれたら一緒にCDを聴いたり歌ったりしたい、とアンケートに書いてくれる。
実は、ミニコンサートの狙いはもう一つあった。それは脳科学者、松本元さんの講演録の次の一文だ。「胎児はお腹の中で聞いた同じ音楽を産まれた後も続けて聞くと安心する。すると脳が活性化し、免疫力が上がり感染症にかかりにくくなる」。童謡が母子ともに良いのではないかとミニコンを続けている。

西條八十

この原稿を書いている時、文藝春秋3月号に「孟母対談 わが子全員を名門大に合格させるまで」が掲載された。その中で、子ども4人を東京大学理科Ⅲ類に合格させた佐藤亮子さんは「童謡を一万回歌って聞かせた」と述懐している。
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ところで、今年は「童謡の芽生え」より100年になる。大正7年(1918年)7月、鈴木三重吉によって児童文芸誌「赤い鳥」が創刊され、同年の11月号に西條八十の「かなりや」が掲載された。これに成田為三が作曲、翌8年の5月号に発表されるや、大きな反響を呼んだ。童謡の第1号だ。これにより童謡は百花繚乱、大正ロマンの一翼を担った。
「かなりや」は西條八十の心境がそのまま詩になったものだ。裕福な商家に育った八十は14歳の時に父親が亡くなり、早大英文科在学中、後を継いだ兄の放蕩と失踪で一家は没落していく。
遺された家族を養うため、翻訳、株取引、挙げ句の果てに天ぷら屋にまで手を出すが、悉く失敗する。そんな時、三重吉から「赤い鳥」への詩の依頼が舞い込んできた。
唄を忘れた金糸雀は
後の山に棄てましょか
いえいえ それはなりませぬ
金糸雀は八十自身であり、詩作を放棄して金策に走っている自責の思いを自問自答し、2節、3節も同様に繰り返すのだった。
しかし、終節は三重吉への感謝と、希望の光を見いだした喜びの表現へと変わる。
唄を忘れた金糸雀は
象牙の船に 銀の櫂
象牙の船は「赤い鳥」という文芸誌、それに執筆する八十のペンは銀の櫂に思えるのだ。
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を おもいだす
世間に広く目にとまるようになれば、詩作に励む本来の自分に立ち直っていくのだ。八十の決意と三重吉への感謝が象徴的に表明されている。