校歌とクラブソングの2番

ワセグリは、校歌「都の西北」誕生時(1907年)に初めて歌った団体で、この年を創部の年にしている。当時の音楽会声楽部の9名に初めて楽譜が渡された「都の西北」は、彼らの指導によってたちまち全学に広がり、同年10月に開催された創立25周年記念式典には全教授・学生による大斉唱が実現した。以降110年間、ワセグリはあらゆる場で歌い続け、大学関係者以外にも広く愛される日本一の校歌になった。正しく歌い継ぐことはワセグリの責務でもあった。ところがワセグリは2番を歌ったことがない。戦前は当然3番まで歌っていたし、今でも応援部はもちろん、校友会・クラス会でも当然のように2番を歌う。山田耕筰編曲版が誕生した時、当時の指揮者・磯部俶氏が発表に際してユニゾンから転調を提案し、どうもその時から2番を歌わなくなったらしいが、考えてみると正しく歌い継いでいないことになる。天国で相馬御風が怒っているかも知れない。

 

クラブソング「輝く太陽」も同様だ。作詞作曲の磯部俶氏が「どうして2番を歌ってくれないんだろう」と嘆いたことがある。1953年の送別演奏会で磯部氏が卒団生一人一人に氏名を手書きして祝意の言葉を添えた。譜面のタイトルは「輝く太陽」だけの表示だったが、翌年から当然のようにクラブソングとして定着した。ところが自分たちのクラブソングの2番を知る人は殆どいない。愛唱歌集(赤本)にも抜けてしまった。
「仰ぐ時計台 流れる雲 若き命のこのリズム」(以下は1~3番共通)。2番を歌っても40秒とかからない。

四連六連などのエール交歓はともかく、定演では校歌・クラブソングがオープニングステージとして定着しているだけに、格調高く2番も歌うべきではないだろうか。校歌は我々の大きな誇りであり、だからこそ、毎年の定演パンフに大きく歌詞を掲載している。戦後創部された早混の定演では冒頭に2番をしっかり歌っている。

 

創部110年を迎える今年から、もう一度原点に戻って、校歌・クラブソングの2番を歌う年にして欲しいと思う。「校歌・1番2番ユニゾン3番転調合唱」、「クラブソング・フルコーラス」。オープニングステージそのものもが一段と格調高くなると思う。
ちなみに、ワセグリと応援部ブラバン共演の「都の西北」がYoutubeにアップされていて、これは2番までユニゾンで歌い3番でブラバン共々転調している。本当の校歌を聴いた気がしてとても感動した。録音年月は不明だが現役諸君にも是非聞いてほしい。(徳田浩)

[編集より]クラブソングの2番をお聴きになりたい方はこちらをどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=PERKR42eCEw
(1989年11月26日、第37回定期演奏会)

輝く太陽原譜


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