今思い出しても信じられない協演だった。それは大学3年の春、グリー旧事務所において川和田宏憲部長、藪下真平四連マネージャーと3人で、四連の指揮者を決める会議から始まった。既存の合唱指揮者ではなくオーケストラ指揮者に振ってもらおうと意見が一致。学生ならではの恐ろしい人選だが、小澤征爾、朝比奈隆、井上道義(敬称略)らが挙がった中で、早い段階で山田一雄先生のマネジメントとコンタクトが取れ、その後、部長が山田先生にお電話して快諾いただいた時には天にも昇る夢心地になった。
実際、曲目を決めるにあたり、山田先生から「男声合唱のレパートリーが少ないので歌い継がれる曲を新たに創りたい」との希望があり、「かみさまのてがみ」で脚光を浴びていた新進気鋭の作曲家の高嶋みどりさん、ピアニストのアンリエット・ピュイグ=ロジェさんをご紹介いただいた。
ロジェ先生は、フォーレのレクイエムの歴史的名盤でもあるクリュイタンス盤のオルガニストであったこともあり、ヤマカズ&ロジェvsワセグリという今から考えてもワクワクする組み合わせに、期待や楽しみというより練習部門としては重圧の方が大きかったのは当然であろう。
初めてロジェ先生を迎えた練習。小さく痩せて小股でチョコチョコと歩いて入って来られ、座りもせず真っ直ぐピアノに向かい弾き始めた。あの奉仕園のアップライトピアノがまるで魔法にでもかかったかのように力強くキラキラと輝き、これからどんな世界に我々を連れて行ってくれるのだろうと心が躍った。
練習が始まるやいなやヤマカズは演奏を止め、二人はアーティスティックな議論となり、やがて収拾不可能に。「貴方が振るんだったら私は降りるわ!」とロジェ先生はフランス語でまくし立てたとか。そのやりとりを見ながら、あらためてプロ根性の凄さを感じ、身の引き締まる思いがした。二人の攻防は早慶交歓演奏会、四連本番まで続いたが、何が起きても演奏を止めないように!というのが当時の口癖になっていたのを思い出す。
今から考えても我々を知らない世界に導いていただき、一緒のステージに立てたことが本当に夢のようだ。このワセグリの良き伝統を継承し、指揮者が振りたくなるような個性ある演奏団体で居続けてほしいと心から願う。
利光敬司(S60卒)