童謡「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」、合唱曲「島よ」などで知られる作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)さんが2018年12月3日、菌血症のため亡くなられた。94歳。
東京音楽学校(現・東京芸大)作曲科に入学後、学徒出陣を経験した。1955年に中田喜直、磯部俶らと作曲家グループ「ろばの会」を結成。子どものための音楽の創作に力を注ぎ、いとこの芥川賞作家で詩人の阪田寛夫さんが作詞した「サッちゃん」「おなかのへるうた」など童謡の名曲を世に送り出した。
合唱曲や歌曲も数多く手がけた。57年から30年間にわたって、自身の作品を歌う合唱団「コールMeg」を主宰するなど、多くのアマチュア合唱団を指導した。
89年紫綬褒章、95年旭日小綬章。父は「椰子の実」の作曲者でオルガン奏者の大中寅二さん。
温厚さと厳しさ 「生涯音楽家」貫く
大中恩先生が昨年12月3日に94歳で逝去されました。
我々合唱人からすると、何をおいても「島よ」「愛の風船」の作曲者、ということになりますが、世間一般には「サッちゃん」「犬のおまわりさん」の作曲者というほうが自然かもしれません。にこやかで温厚な先生の周りには、いつも多くの人がいました。
実を言うと、私が編集者として直接大中先生と仕事をしたのは「魔女追慕」という混声合唱作品ひとつです。他の編集者のサポートとしては多くの作品に関わりましたけれども……。
その仕事に先生のお宅に伺って、いろいろな話をしましたが、「最近でこそ丸くなったと言われるけどねえ、昔はずいぶん尖っていたんだよ」と聞いて驚いた記憶があります。「陽ちゃん(故福永陽一郎先生)と大論争したこともある」とのことでした。かつてのコールMegの練習が厳しかった話も聞きますし、やっぱりただの温厚な人ではなかったわけです。
私は3年前のOB六連で「島よ」を振りましたが、この曲は、大中先生の軽やかで洒落た多くの作品群の中で、はっきりと異彩を放つ作品です。上記の対話の際に「先生、『島よ』の時は一体どうしちゃったんです?」とズケズケ尋ねると、先生は「あはは、そうだね、何かが降りてきたって感じだったかな」と照れくさそうに答えてくださいました。私の経験上、優れた作曲家には必ずそんな瞬間があるように思います。
このOB六連に大中先生をお呼びできたこと、また演奏会の翌日にわざわざ電話をくださって、過分なお褒めの言葉をいただいたことは一生忘れられない思い出です。
先生はこの高齢になっても、2年先、3年先まで演奏会の予定を入れていました。周りの人々が「そうしておけば、ステージ大好きな先生は気力を保てるだろう」と気遣ってのことではありましたが、最後は耳が聴こえづらくなって、そこで気力も衰えてしまったようにも聞きます。生涯どこまでも音楽家であり続けた大中先生に合掌したいと思います。
川元啓司(S56卒)