ワセグリ創立100周年の2007年。現役にとっては「ヤマカズ※イヤー」(※山田和樹先生)であった。6月の東西四連、9月の下田市での特別公演、そして12月の定期演奏会と、山田先生にタクトを振っていただいた。さらに先生は定演の打ち上げで、4年生最後の舞台である送別演奏会の卒団生ステージへの出演を約束してくださった。
07年のワセグリは作曲家、上田真樹先生と出会った年でもあった。この年の2月、山田先生×東京混声合唱団のタッグで、上田先生作曲の「夢の意味」が初演された。まさに「稀代のメロディーメーカー爆誕!」という印象であった。上田先生とワセグリのコンタクトはそれからほどなくしてである。100周年を飾る定演のプログラム構成を検討する中、山田先生から「上田先生にお願いしてみるのは?」との話があり、そこからだったと記憶している。
上田先生は定演での委嘱を快く引き受けしてくださった。前述の下田で演奏した「海のあなたの」も作っていただいた。両先生と早稲田の居酒屋で、べろんべろんになるまで呑んだりもした。
年末、そんな1年の思い出を振り返りつつ、筆者は都立家政のアパートで上田先生への年賀状に感謝の気持ちを記した。その結びの5㍉くらいの余白に、半ば冗談で「追伸:僕たち卒団生のために送別演奏会で演奏する曲を書いてください!(笑)」と追記した(今思えば失礼千万ではありますが、若気の至りとお許し下さい)。
年明け後しばらくして、上田先生よりメールが届いた。「何事か!?」と恐る恐るメールを開くと、「酒頌」と題された曲が添付されていた。そこには「お酒好きの卒団生たちへ」とのメッセージも添えられていた。興奮冷めやらぬまま学生会館に出向き、すぐさま練習に取り掛かった。
そして迎えた送別演奏会。我々卒団生は上田先生作曲の「稲風」を演奏。山田先生はそのピアニストとしてオンステしていただくという大変贅沢なステージであった。ただ「せっかく山田先生に来ていただいている。『酒頌』を振っていただければ……絶対おいしいわぁ」との思いが働き、先生の楽屋へ向かった。
当日のお願いにもかかわらず、山田先生は引き受けてくださった。初見のスコアと卒団生を前に、本番直前の楽屋でリハーサルをしていただいた(これも大変なご無礼を働きました)。
こうして08年2月23日、杉並公会堂で、卒団生ステージ「ヤマチャソといっしょ♪ ~100代目の断末魔~」のアンコール曲として、卒団生17名、山田先生の指揮で「酒頌」が初演された。
今や全国津々浦々で広く愛唱されるようになった「酒頌」。筆者自身で作ったわけでもないが、「酒頌」が歌われる場面に出くわすと、なぜか誇らしい気持ちになる。一学生の若気の至りに、本気で向き合ってくださった先生方の寛容なお心に、この場を借りて、改めて深く感謝申し上げます。
星 雅貴(H20卒)