【あの時あの歌】1972年定演 三木稔「レクイエム」~コバケン先生との交流の始まり

 1972年の盛夏、群馬県川原湯温泉のある旅館に1台のフェアレディZがやってきた。降り立ったのは、長髪でやや小柄ながら精悍さの塊といった小林研一郎先生だ。そこは早稲田大学グリークラブの夏期合宿所。この日が両者の初顔合わせである。

小林先生と対面した群馬県川原湯温泉での夏合宿

この年の4月6日~5月5日、我々4年生や3年生はニューヨークでの世界大学合唱祭に招待され、約1カ月のアメリカ旅行をした。そしてこの演奏旅行まで濱田徳昭先生のご指導の下、数年間ポリフォニー男声合唱を掘り下げてきた。
帰国後、すぐ5月21日に第21回東京六大学合唱連盟演奏会が開催された。そこで立教大学グリークラブで「水のいのち」を指揮する小林先生を見て、「この人だ!」と霊感が働いた。実は、世界大学合唱祭に参加して、「新たな発展を新たな指導者の下で」という気運が我々の中で高まり、演奏旅行後、濱田先生から離れ、定期演奏会の指揮者を探していた。
当時学生指揮者だった岡本俊久君と筆者(溝田)が新宿で小林先生とお会いし、定演での三木稔の「レクイエム」の指揮を依頼した。先生も東京交響楽団で指揮者デビューしたばかりで、まだ時間の余裕があったことも幸いした。そして夏期合宿での出会いとなった。
三木レクは、学指揮の岡本君が3年生の時、横浜国大グリークラブの演奏会で深町純氏のピアノによる演奏を聴き、いつかやりたいと楽譜を持っていたこと、三木稔先生の「阿波」を歌っていたことなどで、小林先生もこの曲を選んだ。
定演時のパンフより三木先生の文章を抜粋させていただく。
「早大グリーが、今年はじめの『阿波』についで、私の曲にアプローチしてくれ、特に今回は小林研一郎君という気鋭の指揮者の下に、このレクイエムを捉えてくれることは、感謝と同時に大きな期待を持っています。彼こそ、このレクイエムのオケ・パートが初めて迎えた(オケを熟知した)指揮者であるのがその一つの理由であり、素晴らしく気迫のこもった音楽作りを、小林君がこのところ連続して見せているのを私が目撃しているのが、もう一つの理由です」
夏期合宿での初めての練習は緊張の連続だった。暗い混沌から地を這うようにピアニッシモで始まる冒頭部「聞こえるか友よ、海鳴りの声がーー」。先生の体からほとばしる気に呼応して、100名の男の声が次第に変化していく。このわずか12小節に午前中一杯を費やした。

オケは東京交響楽団、中村義春氏の独唱で演奏した
定演の打ち上げでの小林先生(中央)

こうして先生とのご縁が始まり、その2年後、先生はハンガリーのブダペスト国際指揮者コンクールを経て、世界のマエストロへと羽ばたいていかれた。その後も現役の東西四連で何度か振ってくださり、三木レクは78年、86年に演奏した。
そしてOBの中で「コバケン演奏会を開催しよう」という声が高まった。2011年、小林先生とお付き合いのあった筆者や津久井竜一君(H01卒)、当時の安斎眞治OB会長(S47卒)、武内正幹事長(S51卒)が先生とお会いして快諾をいただき、13年の「コバケンが振る」演奏会につながった。
(この文章を書くにあたり、同期数名の文を使わせてもらいました)

    溝田俊二(S48卒)

小林先生は1973年の送別演奏会の卒団生ステージで、「月光とピエロ」を指揮してくださった
1973年送別演奏会の集合写真