坪井秀夫さん「卒寿+2」祝う~京都で祝賀会、全国から50人余り出席

大阪稲門グリークラブ終身名誉会長の坪井秀夫さん(S28卒)の「卒寿+2をお祝いする会」が10月10日、京都市のザ・プリンス京都宝ヶ池で開かれました。新型コロナウイルスの感染拡大で何度も延期され、ようやく開催できた祝賀会には、大阪稲グリのみならず全国からワセグリOBら53人が出席。坪井さんも元気な姿で歌い、指揮をして、会場は終始、温かい雰囲気に包まれたまま閉会しました。

冥利に尽きる、歌っていてよかった

花束を受け取り拍手に応える坪井秀夫さん

 坪井 秀夫(S28卒)
2年前、私は90歳になった。先は短い。そこで大阪稲門グリーの幹事にお願いした。「私が死んだら、お別れ会をして頂きたい」。全員が反対。「駄目です、死んでからでは遅い。生きているうちにやりましょう」。建前は祝賀、本音はお別れ。
この人たちの動きは早い。直ちにホテルを予約、4月5日に決定。行動開始。ところがコロナ襲来、あとは皆様ご経験の通り。第2波、第3波と感染の波が来るたび順延また順延。危惧は募る。開催が先か、寿命の尽きるが先か。遂に1年半経過。おかげで私は1年半長生き。
4回の延期を経て、ようやく今年の10月10日に開催することができた。マスク付き、隔壁付き、予行練習無しのぶっつけ本番。だが、あたたかい心は隔壁なしの素通しで、素晴らしい会になった。東京から澤登典夫氏(昭27卒)、浅妻勲氏(昭29卒)、若手5名(60歳超)が来会。他の来客の中にも93歳と92歳がおられたので、90歳超が会場に5名居たことになる。日本の長寿社会を見る思い。
提案。傘寿か米寿で、祝宴を兼ねてのお別れ会をお薦めする。世俗を脱して清々しい気分になること必定。それからは仙人になって、霧や霞を食って生きてゆけばよい。
当日は弔いの歌や偲ぶ歌など歌ったが、最後に参加者全員で「故郷」(兎追いし)を歌った。涙が出た。
冥利に尽きる。歌っていてよかった。

▽付記 写真は古村高さん(S51卒)と森健二さん。
この会のマネージメントは阿部良行さん(S41卒)と和子夫人がすべて担当。

元気な90歳代 優しさと温かさに満ちる

10月10日、ザ・プリンス京都宝ヶ池にて、大阪稲門グリークラブ終身名誉会長・坪井秀夫さんの卒寿をお祝いする会が開催された。新型コロナ感染拡大のため延期に次ぐ延期の末に……。以下は2020年2月に坪井さんご自身が皆さんに呼びかけた文章である。
「願わくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
西行法師にあやかって、私の『生前お別れの会』を4月に行いたいと思います。昨年9月に卒寿を迎え、長寿に感謝しつつ思い立ちました。ご出席を心からお待ち申し上げます」
「お別れ会」ではなく「卒寿をお祝いする会」と改名し、皆さんに呼び掛けた途端、世界中に新型コロナが蔓延し、結局「卒寿+2」での実施に至った次第。

コロナ対策をしながら、全員が歌って坪井さんを祝福した

未だ不安な世情にも拘わらず、晴天の京都宝ヶ池に、坪井さんを愛する多くのグリーメン、ご親族、ご友人が集結した。万雷の拍手を受け「タンホイザー行進曲」で入場した坪井さんをエスコートしたのは、80歳違いのboy(大阪稲グリ専属ピアニスト吉岡美喜さんの長男、大喜君)。
91歳の浅妻勲さん(S29卒)の愉快な「弔辞」、親族代表の心温まる祝辞に続き、元気いっぱい93歳の澤登典夫さん(S27卒)指揮のクラブソング「輝く太陽」で乾杯。食事タイムのBGMは坪井さんご自身の選曲によるもの(葬式に流す予定だったらしい)。
ワセグリOB会元会長の安斎眞治さん(S47卒)から差し入れられた名酒には行列ができ即完売。柿沼郭現会長(S53卒)のメッセージを司会進行の阿部良行が代読。「〝あちら〟から〝お招き〟があっても、何やかや理由をつけて何度でも延期してください」には拍手が起こった。
四連OBを代表して、同志社グリークラブOBの伏村淳二さんが明るい祝辞。出席は叶わなかったが、山本健二さん(S31卒)が送ってくださった歌のメッセージ「願わくは花の下にて……」の素晴らしい歌唱には感銘を覚えた。「遙かな友に」70周年リモート合唱YouTubeがスクリーンで紹介された中で、磯部俶さんらと共に若き日の坪井さんが其処に居た。

花束贈呈で涙ぐむ坪井さん

やがて「思い出のアルバム」スライドショーから宴たけなわとなり、坪井さんの指揮で「稲門グリークラブ」ミニ演奏会。コロナ禍で練習できず今日が初めてのメンバーも多数。予行練習もできなかった割には何とか合唱になり安堵。
大阪稲門グリークラブの鎌田龍児会長(S35卒)から感謝状、花束贈呈へと進むところで、感謝状が行方不明に。えらいこっちゃと捜し回って、発見できた時の司会コメント「感謝状が無事見つかったことに、心より感謝を申し上げます」がバカ受け。
アメリカ在住の坪井さんのご長女からその日の朝、私(阿部和子)に届いたメールを司会者が心込めて読み上げ、私が彼女になり代わって花束を贈呈した時、坪井さんは泣いていた。最後に坪井さんの発案で「故郷」を参加者全員で歌った後の会場には、優しさとあたたかさが満ちていた。
坪井さん、おめでとうございます。ご出席の皆様、まことにありがとうございました。
阿部良行(S41卒)
妻和子 記